ようやく厳しい冬を乗り越えた。

たとえ春先でも真冬でも仕事の最中に汗はつきもので、流れるほどでは無い、皮膚にじっとりとまとわりつくそれを拭い村の入口に立つと後ろからテンポの良い道を踏みしめる音が聞こえてきた、きっとこちらに向かって走ってきてるのだろう、くるりと振り返ると見たことのある姿だった。
親方の息子で自分に良く懐いてしょっちゅうついてまわってくれる団蔵だ。
「せーはちー!!」
あと数歩で清八に追いつくと言う所で団蔵は彼めがけて勢いよくダイブする。
清八はよろけながらもしっかりと団蔵を受け止める、無事に受け止めたと言えど動悸は治まらない。
「あっ…危…危な…!!」
混乱している清八の腕からするりと抜けて団蔵は地面に降り立つ。
「ただいま!」
清八の慌てぶりなど気にしない笑顔で見上げて彼はそういった。

  いつかこの笑顔が向けられなくなる時が来る。

カンは鈍い方だがなぜかその時、そんな思いがよぎった。
「…お帰りなさい」





【蒲公英の唄】





夕餉になり、全員車座になって食事になる。
仕事を終えた者たちの喰いっぷりはそこらの餓えた狼よりも獰猛だ。
話の中心は今日から春休みで無事に学園から帰ってこれた親方の息子団蔵のことだった。
当の本人も十歳とは思えない、そこらの大人にも負けない喰いっぷりを見せている、どうも早く帰りたいらしく道中ずっと走ってきたらしい。
そんな団蔵を親方飛蔵は誉めそやし、仲間もからかいながらその体力と足を褒めた。
「だって潮江先輩に捕まったら帰れなくなる」
そう言いながら彼は自分でおかわりをよそう。
は組の名前に加えて会計委員の名前は以前から出ていたので「潮江先輩」がどんな人間かはこの場にいる全員はだいたいわかっている。
「そんなにその先輩が怖いか」
「こっ…怖くなんかないよ!!」
「おーおー強がって」
「こンの親方の息子ぉー」
強がる所は子供だ、そんな彼を見て一同は笑いながらまたからかい始める。
みんな彼が戻ってきた事が嬉しくてたまらないとでも言うかのように。


◇◆◇


馬借の朝は早い、まだ日が昇らないうちから準備が始まる。
団蔵はいつもどおり清八の元へやってきていた。
清八よりも団蔵に年の近い馬借は他にもいるが団蔵とウマが合うのは清八だった、そのせいか団蔵自身も清八に良く懐いており、学園に入学して周りの手伝いしかできなくなって以来、長期休みのときは決まって彼の仕事を手伝っていた、それを知ってる全員はいつもより多い仕事量を清八に押し付けるのだ。
「今日は昼までに山一つ超えます」
「解った、どれを持っていくの?」
指定された量はちゃんと二人分であった。
しかもご丁寧に比較的軽いのと重いものとで既に振り分けられている、荷物を括りつけるのは人にではなく馬なので意図的に荷物の量を軽くするだの重くするだのに意味は無い。
彼らの意図は無視して清八はバランスよく振り分けなおす。
「帰ったら夕方までにもう数件ありますがそれは近場なので大丈夫ですよ」
馬に荷物を括りながら説明をする、団蔵もそれを手伝い縄を固定する、さすが慣れているのでその結びはしっかりとしていた。
準備が整い村を出る、スタミナ切れを考慮し、馬を軽く走らせ最初はゆっくりと麓まで向かった。
周りに雪はなかったが越える山を見上げるとまだ頂上に白い雪がちらほらと見えた。

山の春は遅い。ここらはあまり雪が積もらない土地ではあるが山は別だ、場所によっては春になっても積雪があり危険な箇所もある。
山に入り馬を下りる、綱を引きながらそれほど険しくない山道を歩きながら団蔵は清八に声をかけた。
意外にもそれは出発してから初めての会話だった。
「清八、元気ないね、大丈夫?」
「あ…ええ大丈夫ですよ」
ぼーっとしていたのか返事に少し時間がかかった、大丈夫だと言ったが元気とは言い返してない、団蔵は少し清八の先を歩きくるりと後ろを振り返って彼の顔色を確認する。
青くもなく健康だった。なにも変わってるものなどない。
「大丈夫ですって」
信用されてないのかと苦笑しながら団蔵を説得する、団蔵は少しだけ疑っているようだったが持ち前の単純さで疑うことを止めたようだ、瞬く間に笑顔になり「そっか」と答える。
その笑顔はなぜか心を縛った、いつもなら思わずつられるほど和むと言うのに。
一瞬だけ、眉をひそめたが見事団蔵に見つかってしまったようだ、眉間に指をさしながら怒ったような困ったような表情になる。
「あーやっぱり大丈夫じゃないな?少し休むぞ!」
どの道、もうそろそろ馬を休ませなければならない、丁度良いと思ったので清八も反対はしなかった。

手綱を適当な木に括りつけて二人とも腰を落ち着ける。
持ってきた水筒で水分を補給しながら団蔵は清八を見上げた。
見上げないと届かない目線は向こうが見下ろしてくれない限り合う事はなく、この場合も腐抜けているのか清八はぼんやりと何もない宙を見つめていた。
清八の視線に合わせて団蔵もそちらを向いてみるがやはり何もなかった。
これほど覇気のない清八を見るのは初めての事でどう接すればよいのか少し迷ったが、迷うよりいつもどおりでいればよいと即決した。
「やっぱり大丈夫じゃないじゃないか、何があったんだよ」
水筒を差し出しながら再度問い詰める。無駄だと思ったが意外にも答えが返ってきた。

「いえね、昨日ふと思ったんです」
「何を?」
水を飲みながら清八は続ける。
「このままやがてこの人は成長して、嫁さんを貰って、親方になって…」
「僕のことか?」
この人、と清八は言ったが団蔵でもそれは団蔵のことだと気付いた。
清八も頷いて水筒を返す。視線は合わなかった、いや清八が合わせてくれなかったと言っても良い、意図的に逸らされたのだ。
「このままはいつか終わるんだろうなと」
毎日毎日仕事に明け暮れ考え事をすることなどしなかった清八だったが、初めてその事実に気付いて立ち止まってしまった。
今まで考えることなどしなかった彼にとってその議題の回答は深刻だった。
なにしろどう答えを出して良いのかすら解らないからだ。
「俺も近い将来嫁を娶るでしょうし…」
「そっそれは許さないぞ?!」
聞き捨てならない清八の言葉に憤慨して団蔵は勢いよく立ち上がる。
それに驚いた清八は彼を見上げるが如何せん元々の身長の差が差なのでそれほど見上げはしなかった。
「清八は僕のところに来るんだ!」
たった十歳でも心意気は馬借仲間と同じ位、いやそれ以上に男前な団蔵の言葉に清八はぽかんと口を開けたまま反応できないでいたが、とりあえず清八が言う事はただひとつだった。
「なっ…何言ってるんですか!若旦那こそ大丈夫ですか?!」
それまでの悩みを一瞬だけ吹っ飛ばす程の勢いで慌て、彼の額に手を置くが発熱と言えるほど熱は無い、至って平常だ、目を見れば真剣に清八を見ていた。
彼はふざけているのでは無い。

「…それで、ずっと傍にいてよ」

強い目のまま、拳は強く握られ力を込めるあまり震えていた。
口元もきっと結ばれてることから歯を噛みしめているのだろう。思い切り。
「…部下としてなら…」
それならずっと彼についていくつもりでいた。
いつの間にか体も団蔵に向けて、彼らは向かい合わせになっていた。
「やだ!もっとずっと近い傍がいい!」
団蔵は首を横に振り清八のその意思を否定する、ここで引いてはいけないと本能で察知しているようだ。
口を開いた途端、我慢していたであろう涙が一滴だけこぼれるのが見えた。
「…そもそもお坊さんじゃあるまいし…いまはそう言えるかもしれませんが、若旦那がもっと大人になったらきっと俺なんて――…」

  見てくれない

そういいかけて止めた、急に答えが明瞭に見えたのだ。「このままはいつか終わる」事が不安な答えが。
団蔵が好きなのだというじつに単純明快な答えだった。
だからこの慕われている状況が「いつか終わる」のが怖かったのだ、彼の気持ちが自分から離れてしまうのが、怖かったのだ。
団蔵は気付かないのか必死に首を横に振る、切り返す言葉を探しているのだろう。
「…僕、清八の事好きだもん…」
団蔵は話題を変えて思いがけない言葉で、しかし清八も以前から知っていた感情で返してくる。
どきりとした。
「解ってます、でももしかしたらそんな気持ち…気の迷いかもしれないじゃないですか」
たった十年しか生きていない団蔵の想いを「気の迷い」だと言う、だが清八は団蔵のその言葉が真実であると、気の迷いなどでは無いと誰よりも解っていた。
だから半分は自分に言い聞かせていたのかもしれない。
「お前こそ!ごまかされないぞ!」
清八が団蔵の言葉を真実だとわかるように団蔵もまた清八のその言葉が偽りだと理解してた。
清八本人でさえもたった今自覚したばかりの感情を彼は既に知っており、しかも確信していたのだ。
このまま自分が気づかないままだったらどうしていたのだろう。そう思うと言わない事が悪い事のように思えた、正直に言うべきかと、考えた。

団蔵の言葉を受け止めるべく清八は団蔵の体ごとそれらを抱きとめる。
「…その通りですよ、誤魔化してます、でも若旦那は将来親方として立派になる方です、邪魔しちゃいけない、それを思えばいくらでも誤魔化します」
「清八…」
強い腕に抗う事無く団蔵も清八の首に腕を回し包み込む。
「全然、邪魔じゃないぞ…」
「いいえ邪魔です」
「嬉しいんだ、邪魔じゃない」
ようやく反対側の震える体の振動を知った清八は身体を離す、団蔵はついに我慢きしれずに泣いていた。
一番最後に彼が泣いているのを見たのはいつだったかと清八は手ぬぐいで彼の顔を拭きながら思い出せない記憶に思いを巡らす。
思い出せないのはきっと彼が清八の前では弱い所を見せまいと、元気な姿を少しでも見せようとしていたからだろう。
強がりは、大人ぶるのは彼の専売特許だ。
「ほら、泣かないでください」
「泣いてなんてない…」
そういいながら団蔵は鼻をすする。
「清八の言うとおり、いつか…終わるかもしれない、でもそれが怖くて好きだって気持ち伝えないなんて…それは違うだろう?勿体無いじゃないか」
「……」
折角、出逢えた人。愛しい人。

「それともお前はいつか僕を好きじゃなくなるって解るのか?」
「そんな…!ありえません!」
思い切り否定した、解る訳もないし第一心変わりすることなど考えられなかった。
「だろう?僕もお前を好きじゃなくなるなんてありえないんだ」
泣き顔から一転笑顔になる。
いつか向けられなくなると思っていた笑顔。急にそれまで以上に愛しく思えて抱き寄せる、バランスが悪かったのか団蔵は清八に全体重を預けることになったが今日の荷物の総重量よりも彼の体は軽かった。
軽い体だったが抱き上げてると言うその感覚が妙にうれしかった。
「清八も僕の事好きなんだな?同じなんだよな?」
そのままいとわずに身体を預けながら団蔵は清八の気持ちを確かめる、明確な言葉として聞いてなかったので不安に思ったのだ。
清八は「はい」と頷く、団蔵はその言葉に満足して背中に腕を回して抱きしめ返す、とても温かだった。
その心地良さに浮かれていた団蔵だったが清八は頷いて言葉を続けた。



「――俺、若旦那が好きだって気付いたの…たった今なんですよ」



へへっと余計な告白に一拍無駄においての団蔵の驚きはようやく残っていた数少ない雪にどさどさと小さな雪崩を起こした。







山の春はもうすぐ。



















一言
落乱の大人さんはみんな仕事人間。だから鈍感。
と言うより仕事にいっぱいいっぱいでほかの事に目が向かないのが事実。


タンポポは団蔵のイメージ花。個人的に。





SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送