長次のいない図書室で雷蔵はいつもどおり図書委員として仕事をこなす。
あの図書室の利用に厳しい委員長がいないというだけでなんとなく今日の図書室は和やかだった、こんなにも雰囲気に変化が出るのかと雷蔵は素直に驚く。
これは図書室のイメージダウン回避のためにも委員会会議の時になにか言ったほうがいいと思うが、長次は規則を守っているだけで悪い事はしていないのだと思うとその提案を言うのを躊躇ってしまう、そしていつもどおり彼はどちらにすべきか迷い始めた。
会議の前に一度、長次に相談すべきかと思いつい反射的に図書室内を見回して彼の姿を探す。

(あ…そうだ、いないんだ…)

淋しくないといえば嘘になる、一瞬沈んでしまった心を急浮上させて改めて溜息をつく。
そういえば、前もこんな風に思わず長次の姿を追ってしまった事があったっけ、と雷蔵はその時を思い出し始めた。
たしか、それは雷蔵が二年になった頃合だった。















【壁の悪魔に阻まれて】







図書当番の日、やや憂鬱な気分で図書室へ向かっていた。
理由はとても簡単でありきたりだが、その頃はまだ苦手だった長次が同じ図書当番のメンバーだったのだ、当番は一週間交代で同じメンバーと曜日で固定されている。
つまり、毎週少なくとも一度は彼と会う破目になっていたのだ。
雷蔵は彼のあの目つきがどうしても睨まれているように見え、さらに無口で何を考えているのか解らないので近寄りがたく苦手だったのだ。
他の人間に対してもそうだと知ってはいるが、それでもやはり睨まれると萎縮してしまう、その日もそんな放課後を過ごすのだと思うとやはり憂鬱だったのだ。

図書室の前で一回だけ溜息をついて障子を開ける、正面突当りのカウンターにいたのは別の三年生だった。
「あ…」
肩の力を抜いてカウンターに近づくと向こうも雷蔵に気付いたようで挨拶をする。
「中在家の代わりに入った、よろしくな」
「あ、はい、よろしくお願いします」
それまでの意気込みが無駄ではあったが余計な緊張をせずに済み、ほっとした。
このままなら安心して放課後この図書委員の仕事ができる。
雷蔵がそう思っていた通り、長次の代理で入った気さくな先輩と意気投合し、仕事がさくさくとはかどった、気付けば閉館の時刻でまた今度、と言いながらその先輩と別れる。


その翌日、当番ではなかったが読みたい本があったので図書室へ向かう、まず入って一番最初に覚えた違和感はなんだったか、全く気付かなかった、ただ覚えているのは目当ての本が見つからなかったことだけだった。

その次の日は三郎と一緒に調べ物をするために向かった、昨日なかった本はないかと念のため見てみるがやはりなく、その時も何か違和感があったのだが一緒にいる三郎がどうにも集中していない様子でそれをたしなめながら調べ物をするのに一生懸命で深く考えなかった。

また翌日は委員会顧問である松千代先生に見つかり、新刊リストを図書室に持っていくハメになった。
ふう、と溜息をつきながら簡単なこのお使いを済ませようと図書室に入る、ふいと辺りを見回してまた違和感を抱いた。

(そういえば…図書室、なんか変かも…)

もやもやとした思考のままカウンターを見ると、当番は委員長と三年の先輩方だった。
三年の先輩はこの前長次の代わりに入ってくれたあの先輩だった。
「こんにちは、これ、松千代先生から預かりました」
やや緊張気味にそう言いながらリストを委員長の前に差し出す。
「あ、ありがとう…」
と返事もそこそこに委員長はじっとリストを見る。
脇から三年の先輩が小突きながら呟いた。
「中在家に押し付けましょうよ、あいつ詳しいから」
「あー…そう言えばそうだな…」
二人の会話が飲み込めず首をかしげて雷蔵は二人が辺りをきょろきょろと見回すので一緒に訳もわからないまま見回す。
見渡すついでに先ほど感じた違和感の正体について少し考えたが、やはり答えはわからなかった。
「なんだ、いないのか」
そういう委員長の一言で二人が長次の姿を探していたことに気付く、確かに、彼の姿は見えなかった。
三年の先輩も溜息をついた。
「あれ?いつも当番でなくてもいるんだけどなー」
おかしいなぁと呟きながら性懲りもなく探す三年の姿を見て雷蔵はハタと気付く。
(そっか、中在家先輩がいないんだ…)
図書室に行く度、雷蔵は彼の姿を見つけていた、見つけては避けていた。
あれらの違和感は図書室に入ってまず「避ける」と言う行動をしなくてもよいという安堵から来るものだった。
「まぁ、これも仕事だしな…」
ぼんやりと委員長は呟いてリストを見る、眠たそうだ。
三年の先輩も諦めたのか黙々とそれまでしていた返却作業を始める。
居たたまれなくなった雷蔵は少しだけお辞儀をして図書室から出た。

とぼとぼと歩きながら視線はわずか下に、口元に手を当てて首をかしげる、悩み事や考え事をする時の雷蔵の癖だった。




別に嫌いで避けているわけではない、怖いから避けているだけだ。




委員長やあの先輩のように、もう少し笑えばいいのに。




そうしたら怖くないのに。








◇◆◇


酷い夕立だった。
気付いてから一週間、あの日の翌日も翌々日も彼は図書室におらず、次の当番の日さえもまた同じ代理を立てており、学年が違うことなどもあってか雷蔵は長次の姿を全く見ていなかった。
気付かなかった期間も含めれば十日以上にもなるが、無理に会おうとまでは考えなかった、第一わざわざ彼に会う理由がないし意気地もない。
ただ、図書室に向かえば彼の姿を探してしまっていた、今まで週に一度は見ていた顔をこんなにも見ないと苦手な相手と言えどもそわそわと探してしまうのだ、結局見つける事はできなかったけれど。
なぜかいないと知ると溜息が出た。

夕立の激しい雨音を聞きながら部屋で大人しく本を読んでいれば、ゴロゴロと遠くで雷の音が聞こえる、外を見ればどんよりとした空にまだ太陽は見えない。
先ほどまで晴れやかに光を与えてくれていたというのにそれが嘘のようだ。
「雷蔵ぉー」
雷蔵が返事もしないうちに入ってきたのは同室の三郎だった、服を盛大に濡らしている事からどうやら傘も差さずにこの雨の中校舎からやって来たようだ、慌てて立ち上がって手ぬぐいを差し出し、布団を引っ張り出す、風邪でも引かれては困るのだ。
どうせ延々と看病してだのなんだのと「構って」攻撃をしてくるに違いないのだから。
「ほら!早く拭いてよ!何やってるんだよ!」
手際よい雷蔵のなすがまま、三郎は身体を拭く、ひやりと冷たかった。
「いや、距離もないし平気かと…」
「なわけないだろ?まったく…」
変装が崩れている所為かふいと彼は後ろを向いて衝立を二人の間に立てかけた、気にしない雷蔵はそのまま彼の着替えを衝立越しに投げ込む。ばさばさと言う音と一緒に「うわっ」と言う抗議の声が聞こえたが気にしない。
「あ、そうだそうだ、さっき、図書室でお前が読みたがってた本見つけたぞ」
衝立越しに聞こえてくる三郎の声に本当?!と聞き返すと少し間があってから「ああ」と返事が返ってきた。
嘘だと思ってはいなかったが、返事を聞いた雷蔵は急いで傘を持って外に出る、夕立の所為かもう雨脚は大分弱くなっていたが、それでも傘は必要だった。
「ありがとう、風邪引くなよ?」
念を押して雷蔵は傘を広げて長屋から駆け足で校舎へ向かう、少し雨が降りかかってきたが気にならなかった。

今読んでいる本もあるが、この前までずっと探してもなかった本が戻っているかと思うと嬉しくてつい笑みがこぼれる、傘はちゃんと校舎入口でたたんで立てかけておき、水気をふき取って笑顔のまま図書室へ入り、何ふり構わず例の本が分類されている本棚へ真っ先に移動する、図書委員として配置は完璧に覚えてしまっているのですぐに辿り着けた。
その棚には三郎の言うとおり雷蔵が探していた本がちょんと本と本の隙間においてあった。
嬉しさのあまり叫びそうになるが、大声は厳禁、必死に堪えて、しかし笑顔のまま早速カウンターへと向かう、今から読むのがとても楽しみだった。

「すみませんー…」
カウンターを見てハッとする、そこには難しそうな顔をした中在家が当番の仕事をしていたのだ。
十日も会わないでいた相手の姿をようやく見つけ、雷蔵は嬉しいのかやはり怖いのか、綯い交ぜになった感情を押し殺してそれまでの笑顔を一瞬にして引き締めいままで彼に向けていたやや強張った表情を作る。
そういえばこの前あの先輩と交代したと言っていた、今日がその交代した日だったのだと雷蔵はすぐに理解する、今日の当番のメンバーである委員長を始め他の委員は見回してみたが姿は見えず、彼一人だった。
「これ、借ります」
「……」
雷蔵がおずおずと本を差し出すと、長次は無言のままにうなづくとさくさくと貸し出しカードを出してくる。
手際は雷蔵もわかっているので戸惑う事無く名前を書くと、自分の名前を書いたすぐ上に目の前の彼の名前があった、日付を確認してどうやらこの本が図書室にそれまでなかったのは彼が借りていたかららしいと知った、ふと様子を窺おうと見上げると彼はやはり無表情のまま手にしている本を読んでいた。
「…この本、前は先輩が借りられていたんですね」
先に読まれてしまった悔しさと、気になる本を気にかけてもらえた嬉しさとで思わず雷蔵は長次に声をかける、長次は本から僅かに視線を上げて雷蔵を見た。
実はこれが初めて仕事以外の彼らの会話なのだが、本人たちは気付いていない。
「…楽しかったぞ」
「本当ですか?僕も読むの楽しみにしていたんです」
長次の短い感想に雷蔵は笑顔で食いついてくる。
それは三部作の物語で、第二部に当たるものだった、ひと月ほど前に第一部を読んで以来、少し気にしていたのだが、読みたいというタイミングの時に長次に借りられてしまっていたのだ。
「…三部が今度入る」
ぼそぼそとした小さな声で長次は奥の書類棚に置いてあったリストを雷蔵に見せた、それは先週雷蔵が松千代先生に渡されたあのリストであった。
長次の指差す丁度真ん中の辺りに確かにそのシリーズの名前が載っていた。
「本当ですか?!わぁ、楽しみです!!」
目を輝かせて、笑顔で答える、すると長次のもつ雰囲気がいくらか和らいだのに気付く。
表情をよく観察してみたが笑ってはいない、だが雰囲気は明らかに柔和になっている、それまで雷蔵が「怖い」と恐怖を抱いていた要素は全く消えていた。
話せば声は少し小さいけれどいい人なんだと雷蔵は彼に関する認識を改める、笑顔は無いが、少なくとも怖くは無いと頭でも体でも理解した雷蔵はほっとしてまた笑顔になる。
無表情ながらも柔和な雰囲気のまま、長次は雷蔵の頭の上に手のひらを乗せ軽く撫ぜる。
敵意は無いと解っても、行動を理解できなかった雷蔵はきょとんとただ驚くことしかできなかった。
一瞬の「イイコイイコ」が終わると長次はまたいつのも雰囲気に戻り、雷蔵も戸惑いながらカウンターから離れて図書室を出た、出る時、最後に一度だけ長次を見れば、再び本に眼を落として夢中になっており、こちらを見る事はなかった。



あれが、彼なのだ。



笑顔も気さくな部分も、気の利いたところもまったくないけれど。








でも彼は優しい。








校舎を出ようとすると、丁度雨がやんで太陽の光が差していた。すっかり夕日になっていた太陽は赤く雷蔵を照らす。
夕日なんて久しぶりに見る、と思いながら雷蔵は長屋へ戻った。


◇◆◇


そういえばあれ以来、怖がることなく普通に接する事ができるようになったんだと雷蔵は一人微笑む、確かに今も表情が怖いが最近ではようやく喜怒哀楽の些細な変化もわかるようになってきた。
やはりあの時のあの柔和な雰囲気は、自分がわからなかっただけで彼は笑っていたのだと思い出すと今の自分よりも幼かった当時の彼が微笑ましかった。

その時の、会えなかった時間を思い出した所為か、またこのまま長い時間会えなくなるのでは?とふいに不安になる。
今は先生に呼ばれて丁度席を立っているだけだが、このまま学園長のわがままで忍務にいきなり遣わされたら…ありえないことではない。
雷蔵はどんどん悪い方向に思考を発展させる。

このまま、あの時のように会えなかったら…?

あの時は平気であったが、今は…もう無理だ、一日だって我慢できないし不安になる。
三年でこんなにも彼への想いが膨れるなど、あの時の自分は思いもしなかっただろう。
そう思うと、あの時自ら彼に会いに行こうとしなかった自分が信じられなかった、今なら理由がなくても飛んで行きたいほどなのに。
また、会えなくなるのは嫌だった。

しかしそれを打ち破るように図書室の入口が開いて今まで回想の中心人物だった長次が入ってくる。
雷蔵はその姿を見て自分の考えが杞憂ですんで良かったと安心し、笑顔で「おつかれさまです」と労った。
「あの三部作のこと覚えてます?さっきあの第二部を借りた時のこと思い出していたんですよ」
カウンターに入る長次に雷蔵は独り言のように言う、これでも長次はきちんと聞いていてくれていると解っているから言える話し方なのだ。
長次は短く頷き、カウンターの中に座り込む。
「お前が俺の前でも笑うようになったのはあれがきっかけだったからな」
あの時よりはわずかに大きいボリュームで答える、だいぶ聞き取りやすいようにはなっていた。
「――…って…ええ?そっ…」
そんな些細なことまで覚えているのか、と叫びそうになって飲み込む、図書室での大声は厳禁だ、深呼吸をして、声のトーンを落としながら長次に質問する。
「あの…僕、そんな後輩でした?」
「…常に怖がっていた」
それはその通りだったので否定はできない。
がくりと肩を落とすとふいに長次は雷蔵の頭を撫で始めた。
唐突な行動に思わず顔を上げると長次と目があった。
「あの時から、撫でられるのは好きだろう?」
「…その通りです」
何もかも見通されている、苦笑しながら雷蔵は彼のその手の暖かさに甘んじた。





あの時から変わらない。

優しい手のひらだ。




















一言
好きになる、きっかけの、そのまたきっかけのお話。

「会いたくても会えない、すれ違ってしまう」ってのがテーマでしたが…おや…??
私も「イイコイイコ」されるの大好きです。するのも大好き。





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