【キミノナマエハ?】





雷蔵が、学園長からの急なお使いからの帰路、見慣れた一番最後の峠の麓に辿り着いたのは日が暮れるとほぼ同時だった。
峠を越えれば学園は目の前だが物騒な世の中である、果たして夜のこの峠を無事に越えられるかと首をかしげ口元に手を当てるいつもの癖を始めた、自然とこうしていた方が落ち着くのだからしょうがない。
(まぁいいや、逃げ足には自信があるし、盗賊の噂も聞かないし)

見た目は幼い子供ではあるが、れっきとした忍術学園の生徒で、見た目より力はあるし体力も十分だ、ただ、お使いの帰りで多少疲れてはいるが、それくらいでへこたれるほど、ペース配分を間違えてはいない。
もし仮に敵が現れても外見と経験の差によるかく乱もできるし、武器も一応隠し持ってはいるのでいざ戦闘になっても構わなかった。
悩み癖はあるが、大雑把でもある彼は大して悩む事無く、暗闇が支配し始めた峠を上り始めた。



上りはじめて僅かも経たない頃、山の木々に囲まれ、夕暮れ後の僅かな光さえも届かなくなった、暗闇に飲まれはしたが徐々に暗くなっていたので幸い眼は急に暗いところに入るよりも早く、よく見えた。
見慣れた峠といえど道を少しでも外れれば沢にはまって抜け出せなくなる、忍術学園はどのルートを使っても辿り着くまで困難な道ばかりだ、とりあえず雷蔵は個人的に最も使いやすいこの峠の道を使っているが、他の者は他の者なりに雷蔵のように贔屓のルートがあるようだ。



道を見極めて慎重に歩く、今のところ自分以外に人の気配は感じられなかった。
暗闇が一層濃くなり、道もだんだんと見えにくくなる、帰り着く頃にはとうに夕食の時間は終わっているのだろう、と諦めのため息を漏らし、だんだんと曖昧になる境界線に惑わされないように眼を凝らした。
本来ならば日が暮れる前に学園に戻れるはずだったのだ、ただ、お使い先で悩むという悪癖さえ出なければ。
やはり即断即決して、あの時すぐに学園へ戻ればよかったのだ、下手に迷って時間を食い、挙句帰り道は暗闇で、最悪な事におばちゃんの夕食を食いっぱぐれた。
悪癖一つで運が決まるのだと今日のこの事は心に十分に刻んでおく事にした、が、おそらくまた喉元過ぎないうちに同じ事を繰り返すのだろう、と雷蔵は先の自分に対して呆れて溜息をついた。

通りなれた峠道は、普段ならもうそろそろ頂上に付く頃である、そこからなら木々の間から忍術学園のどこかだかはわからない青い瓦の屋根が、昼間なら見えるのだ。
雷蔵は夜間ならなにが見えるだろうと思いながら先を歩くと、不思議な風を感じた。
「――…!」
不自然な風は人が近づく気配だ、物音や気配はいくらでも消す事が出来るが、風だけは、空気がある以上、その抵抗により発生するものであるから完全にゼロにする事は不可能である、ただし、五感のうち聴覚に頼れるほど大きな風では無いので触感のみでしか把握できない以上、気配や音よりも察知するのはやや困難である。
雷蔵は素早く身を道の端に寄せしゃがみ込む、大抵風が真っ先に届くのだ、相手はまだそれほど近づいていないと判断し、その相手の素性がわからないので念のため身を隠したのである。

(…でも、僕でも気づくって事は…プロではないのかも…)
プロなら、まだ忍者の卵である雷蔵が、見極めに困難を要する風に気付けるはずがない、しばらくその場でしゃがみ込んで辺りを窺っていたが、変化が見られないので自分には興味がなかったのかと雷蔵はのろのろとその身を起こす、立ち上がると星明りで薄ぼんやりとした夜空と墨で塗りつぶしたような光さえも飲み込みそうな森の木々が相変わらず境界線でせめぎあっている、変わった様子はどこにも見られない。
何事も無ければいいのだと雷蔵はほっと胸を撫で下ろして一歩、踏み出そうとした。



右足を前に出した状態で、雷蔵は目の前を凝視する、静かに右足を地につけながらそのまま上体を伏せ、身を低くしていつでも攻撃できる姿勢へ変える。




暗闇の道の中、そこに人影が一つあった。




この森の中、木の葉を掻き分ける音を一つも立てる事無く丁寧に気配を消してそこにある姿は間違いなく忍であろう。
とすれば先ほどの不穏な風の正体かと雷蔵は判断して正体を見極めようと目を凝らす、影が単独でいるとは限らない、背後や横への気配にも神経を研ぎ澄ませた、もしかしたら影が不穏な風の正体であるとも限らないのだ。
影は同じくこちらの様子を窺いつつゆっくりと間合いを詰めてくる、体格は雷蔵より大柄で忍装束である事がわかるが大人か子供かの判別は無理であった。

やがて僅かな星明りで忍装束の色がぼんやりと青系の暗い色、たとえば紺色や紫色なのだとわかる。
忍術学園の学年カラーであるとわかり、雷蔵は影の正体が自分と同じ学園の生徒かもしれないと自らも一歩だけ間合いを詰めた。
それを見て安心したのか影の間合いの詰める速度が速くなる、普通に歩いて近づいてきていると言ってもいい速さだ、雷蔵が面食らって唖然としていると影の姿がだんだんとはっきりしてきた。
忍装束の色はやはり紺色で雷蔵の一つ上の学年の制服だった、という事は影の正体は先輩である、体に僅かな緊張を走らせ、その先輩の顔を窺った。
それは三年続けて週に一度は必ず見かける顔で、いつも絶え間ない顔の傷こそ暗がりで見えないが、眉や目の位置、鼻の形で容易に判断できた、わかった途端雷蔵は思わず声を上げる。



「なっ…中在家先輩…!」



どうしてここに、とは続かなかった、驚きのあまり続けられなかったのだ、雷蔵はそれが見慣れた人物で安心したのかそれまでの緊張を一気に緩めてその場にへたり込む。
それを見た長次は慌てたように、最終的にはやや小走りで雷蔵に近づいた。
下を向きながら長く息を吐ききり、ふと上を見上げると長次が無表情だが心配そうに雷蔵を見下ろしていた、雷蔵はそれに笑顔で「大丈夫だ」を表現して急いで立ち上がろうとする。
「わっ!」
雷蔵の立ち上がるタイミングに合わせて長次が腕を引き、勢い良く視界が高くなった。
僅かによろけたが転ぶこともなくすぐにバランスを整えて長次を見た。
「す…すみません…」
誤魔化すように苦笑混じりに笑いながら、雷蔵は長次と丁度逆の手同士で握手をしているような状態になる。

長次はじ、と雷蔵の目を見ていた、同じ図書委員になって三年の付き合いがある、日々無口無表情の長次の意思を上手く判断できるよう観察している雷蔵は、彼が何を言いたいのか、ややあってから判断した。
どうしてここにこうしているか?それを聞きたいのだろう。
「お使いで学園に戻る所なんです、ちょっと予定より遅れてしまって夜道を歩くハメになってしまいました」
予定より遅れた理由は今更であるし、長次の手前、言うのは躊躇われた、これで納得してくれただろうかと長次の顔を窺うと、どうやら納得したようでそれ以上に問い詰めるような様子は見られず雷蔵はほっと一息つく。

「先輩は…自主トレですか?」
最初こそここにいる事が不思議でたまらなかったが、暗い峠道を一人で、忍装束でいるという事はそれ以外に考えられなかった。
案の定、雷蔵の予測どおりだったらしく長次は短く頷いた。
「あ…えっと、お邪魔してしまってすみませんでした」
突然の乱入で集中力を欠いたことだろう、申し訳なくぺこりと頭を下げて、再び上げると長次は首を横に振る、構わない、と言いたいらしい。
「じゃ、僕は先に学園に戻りますね」
言いながらつながれたままであった手を振り切ろうとしたが、長次はそれを拒むようにより強く雷蔵の手を握り締めた。
酷く痛みを感じるほど強くは無いが、離して欲しかった雷蔵は不思議に思いながら長次の顔を窺う。

「…丁度、戻る所だ」
珍しく、しゃべったが短すぎて意図を上手く汲み取るのに時間を要した、無表情でもそれなりに時間がかかるが、しゃべるとなると不可解な言葉を並べ立てるので下手すれば無表情のままでいる方が解りやすいときもある。
長次も戻る所で、繋いだ手を離そうとしないという事は、一緒に戻ろうと言いたいのであろう。
「それじゃ…学園までお供します」
この解釈が正解なのかどうか不安なままでいる雷蔵の答えを聞いて、長次は一つ頷くと手を繋いだまま彼の手を引いて学園への道を歩き始めた、雷蔵もそれに続く、たった一歳の違いではあるがまだ伸び盛りの雷蔵と五年生の中でもずば抜けて背の高い長次との身長差は頭ひとつ分以上あり、足の長さも歩幅ももちろん違う、しかし長次はそれを雷蔵に合わせて足元の見えない道を歩いていた。

確かに一人より二人の方が心強い、しかしこちらは下学年で、下手すれば足手まといになる可能性だってある、それなのに一緒に戻ろうと言う長次の気遣いが雷蔵には嬉しかった、それまでの良くない悪癖を発揮してしまった事や、夕飯を食べ逃した事が全て吹き飛んだように笑顔になれる。
「…あれ?」
隣を一緒に歩く長次もわからないほど例えばヒュッと音を立てて息を吸うほどの小さな声で雷蔵は首をかしげる。

日が暮れた丁度今頃、通常通りおばちゃんの夕食が食堂で待っているはずだ、食べ盛りの子供に溢れた学園で彼女の食事をわざわざ逃す真似をする人間はいない、もちろん授業など特別な場合はおばちゃんが気を利かせて人数分残してくれているが、自主トレである場合は切り上げてでも向かわなければ自分の取り分は残らない。
それに、図書室も、閉館して間もないはずで、図書室からここまでの距離は閉館前から出立していないと到底間に合わない。
当番以外の日にも閉館まで必ずいる人物が不思議な事に「自主トレ」を優先してここにいるのだ。


さらに何より、戻るタイミングが同じとは…丁度良すぎる。


最初は雷蔵と言う邪魔により集中が途切れた所為だと思っていたが、それはもう一度、集中すればいい話だ。
明らかに、長次自身のではなく雷蔵に予定を合わせている。

「あの…このままじゃ先輩、夕食を逃しますよね…?」
自分の中にわきあがった疑問を確かめるように雷蔵は長次に問いかける。
長次は僅かに目線を雷蔵から逸らし、押し黙った、常に押し黙っている彼ではあるが目をそらすという事は長次の場合、例えばおしゃべりな人間が言葉に詰る事と等しい。
どうして言葉に詰っているのだろう、なにか言いにくい事があるのだろうかと雷蔵は問い詰めたい訳ではないが更に口を開く。
「本当に自主ト――」
「初めて――」
雷蔵の言葉を区切るように長次は素早く言葉を紡ぐ、それはまるで雷蔵の言葉を予め予測し、それから避けるため紡いだようにも見えた。
ともあれ長次が何か話そうとしているのなら、邪魔はすまいと雷蔵は大人しく押し黙る。

「…並んで歩く」
「……」
先の言葉を違い、大切そうにゆっくりと紡がれる言葉には妙な重みがあり、言われて初めてそれを意識する。
いつもなら、たとえ二人で歩いていても雷蔵は決して長次の隣に行く事はなく、常に一歩後を歩いた、それは技術の勝る先輩と並んで歩く事を躊躇ったためで今ももちろんその気持ちではいる、しかし手を繋いでいる所為で隣を歩かざるを得ない状況なのだ。
長次と一緒にいるというのに目の前に彼の背中はなく、首を横に振らなければ長次が見えないという状況はやはり慣れず、緊張した。
「すっ…すみません…」

後輩のくせに並んで歩いて生意気だ、と思われただろう、今すぐにでも手を離していつもの位置へ逃れたい所だが、長次がそれを許してはくれなかった。
「この方が良い」
今度は雷蔵が押し黙る番だ、どうもいつもより話す長次のその調子についていけない感がある、意図が解りやすく助かるがなぜこんなにも口数が多いのだろう。
のそりとした声だが深く響く音が心地よい。
ふと先を見ればやはり長次の背中はなく、峠の下り坂だけで、星空と木々の境界線の位置が下に下がっていた。

(やはり…迎えに来てくださったんだ)

行き着く考えはこのたった一つで、無事に帰ると信頼されていないという不満よりも単純に来てくれた嬉しさが勝った、初めから全て知った上でわざわざ、おばちゃんの夕飯を逃してまで、図書室を閉館前に抜け出してまで、迎えに来てくれたのだ――知らない振りをして。
なぜたかが後輩一人のためにそこまでしてくれるのかと言う疑問と同時に申し訳ない気持ちでいっぱいにもなるが、このまま「迎えに来た」のではない事にしたいのだろう、彼に応えるために選ぶ言葉は一つだけだ。




「…ありがとうございます」




面と向かって言うつもりだったが、直前になって急に気恥ずかしくなり俯いて、呟いた。


長次がどんな表情をしているのか、雷蔵はわからない。


それでもなお、つながれたままの手はほわほわと暖かい。


そしてそれと同様に心臓に程近い、肺と肺の間も同じように暖かだった、ただしこちらは手とは違ってせわしなくドキドキと心音を早めているが。


それは以前感じた靄に僅かに似ていた、だが、こちらの方がずっと良いものに感じる。


つながれて、ゆっくりと歩く夜道を見上げると唯一の光でもある星が見えた、それは極小さな光であったが妙に心地良い。


ああ、このまま、この心地良さが、続けば…














だが、雷蔵はその心地良さが、暖かさが、心音の速さが、




まだ、なんと言う名前であるか、知らなかった。























後日譚

数日後の図書当番の日、長次は修理した本を戻すため、書庫まで本を両手で抱えて運び歩いていた、雷蔵も一歩後ろから同じく本を抱えてついている。
ふ、と雷蔵の前を歩いていた長次は足を止める、一瞬その背にぶつかりそうになるがなんとかそれに合わせて雷蔵も立ち止まった。
なぜ立ち止まるのだろうと雷蔵が顔を上げると長次も丁度見下ろした所で偶然にも目が合った。
「……」
長次は何か言いたげに雷蔵を見ていたが、一度だけ前を向き、また雷蔵の方へ振り返って近づいた。
「え?」
雷蔵が長次の行動を測りかねている間に長次は雷蔵の隣に、その身を置いた。
そして雷蔵の顔を窺うように丁寧に見下ろして呟く。
「…隣が良いと、言ったはずだ」
「……!」
この前の事だとわかるや否や、雷蔵は体が火照る感覚を覚えた、どうやらあの言葉はその場限りで言ったものではなかったらしい、という事はこれから先も並んで歩いても良いのだろうか?
ただの後輩である自分が?
それについて悩みたいが、隣にいる長次は雷蔵が動くのを待っている、本当に、隣を歩くつもりだ。
「…はい」
そうして書庫までもう僅かの距離を並んで歩いた。









一言
恋を恋だと気付かないネタは大・好・きです…!
長次はね、雷蔵が心配でご飯も食べずに抜け出してきちゃったんだよ。っていうネタ。それは信頼していない、と言うわけではなく…

07.10.17後日譚(日記より抜粋したものを更に修正)加筆。



SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送