【それは色鮮やかに残る】





秋晴れの心地良い風が吹くその日、日々冷たくなる風を感じながら雷蔵は片手に本を幾つか重ねもち、返却されてきた本を元の場所に戻す簡単な作業をしていた。
本の場所さえ全て把握していればこれほど簡単な仕事は無い、繊細さを問われる本の修復作業より雷蔵にとってはずっと楽な作業であった。
最後の一冊を戻し終え、まだ少しカウンターに残っている残りの返却済みの本を新たに抱えようと本棚が並んだ列の間からひょいと顔を出したそのときだった、目的地であるカウンターを見れば同じ当番である一年生と五年生が、丁度一年生が五年生を見上げるようにして座っていた。

五年生は言うまでもなく中在家長次である、委員会の中でも雷蔵は長次の意図を読み取りやすい所為か――外れる事も多々あるが――今年は故意に同じ当番になっていた。
ここまで同じならばきっと来年も同じ当番の日になるのだろうと半年後実現するであろう事を予測する、もはや以前のような苦手意識は無いので例えそうであっても構わなかった。

その長次を見上げるようにして座っているのは入学半年の初々しい一年生、能勢久作。
真面目で素直な子だが、真面目であるが故に自らの許容範囲を超えると混乱するというこれまた一癖ある子だった。

雷蔵がカウンターを見ると彼が魂が抜けたかのように唖然と長次を見上げているのだ、とうの長次はお構いなしにどこか一点を見つめるでもなく、しかしぼんやりしてるでもなく、図書室と言う空間を見ていた、その表情は明らかにいつもの無表情とは異なる笑顔であった。

ただし、笑顔といっても向けられている側まで心が和むような良いものではなく、むしろその逆で、何を考えているかこちらが解らないまま頬の筋肉を、口の端を、ひたすら上げるだけ上げ、目も笑顔用にカーヴさせ細めるだけ細め、ようするに「笑顔」の時に使う筋肉を意識して使っているからつまるところ不自然で、恐ろしく見えるのだ。

慌ててやや早足で雷蔵がカウンターへ近づくと、それにつれ久作も我に帰ってきているのか混乱の前兆ともとれる慌てたような行動を取る、それは一貫して統一性がないのでこの後彼が叫ぶであろう事は容易に想像がついた。
「――!!」
「あ」の口を開き、今にも叫びだす彼の口を雷蔵はぎりぎりで背後から押さえ込む、なにしろここは図書室、騒々しいものは全て禁止なのだ。ちなみに「騒々しいもの」の定義は長次の声よりも大きいものを差すらしいというなんとも制限の厳しい噂もある。

「久作、落ち着いて」
口を押さえながら雷蔵は久作を落ち着けようと必死になる、長次はちらりと二人を見下ろすとまた図書室を見渡した、どうやら二人のやり取りに興味を持たなかったようだ、それはそれで安心だと内心雷蔵はホッと一息つきながら久作の様子を見る、まだ見たものが信じられないようだったが叫ぶような事態にはならなさそうなので雷蔵はそうっと彼を解放する。
久作は自由になった身を噛みしめ、長く溜息をついたあと、雷蔵に助けを請うかのような目線と、長次にお化けでも見るかのような視線を交互に交わす、器用だなと思いながら雷蔵は久作の手を引いて長次のいるカウンターから引き離し、図書室の外の廊下に出た。
図書室の利用者は黙って事の成り行きを見ていたが、一年生以外の彼らはその光景を見慣れているのか久作に心の中からエールを送って自らのことにいそしんだ。


「…まだ、見ていなかったっけ?」
やや哀れみを含んだ表情で雷蔵は屈んで久作の表情を窺う、久作はショックで口が利けないらしくとにかく首を縦に振っていた。
「吃驚するよね、一年生は大抵アレに驚くんだ」
あはは、と苦笑しながら雷蔵は続けた。
「僕も良くわからないけれど、多分、あれはただ笑っているだけだから怖がる事ないよ?むしろアレが先輩の普通みたいだし」
長次は、いつも無表情と言うわけでは無い、主に無表情で伝え切れない事がある場合や今回のように本当に何もない場合によく「笑顔」になる、前者は周りの者が考えればすぐわかることだが、後者にいたってはいまだ誰もその理由について説明できるものはいなかった。

「でっ…でもあれは…!!」
ようやく言葉を口に出来るようになった久作だったが、あの笑顔を思い出してしまったのか顔を強張らせる、真面目なだけにやはり笑顔として許容できないようだった。
いい性格なのにこういう時は仇になるんだなぁとしみじみ思いながら雷蔵はまた久作が落ち着くのを待った、図書当番は長次に任せきりな状態であるが、今日は利用者も少なく、彼一人でも大丈夫だろうと判断する。
やがて思い出し恐怖からも逃れた久作はふうと溜息をついた。
「不破先輩は慣れてるんですね」
尊敬にも似た言葉に雷蔵は照れて逆に慌ててしまう、褒められるような事態にはあまり慣れていない。
「まさか!僕も最初すっごく吃驚したんだよ?」
「不破先輩もですか?!」
今では混乱している人を宥めるほど慣れているというのに、と言いたげに久作は信じられないように雷蔵を見る、雷蔵は少し視線を彷徨わせて頷く、その返事に久作はただ信じられない様子でいるだけだ、どうやらこの事も彼の予想外の範疇だったようだ。
「…すごく怖くてね、近寄れなかった」
久作と違い、顔を合わせて割りとすぐの事だった、あまりにも逸脱した「笑顔」をとても笑顔とは思えず、とても恐れたのも今では笑い話にしてしまえる思い出だ。

久作はと言えば想像ができないのかただ唖然と雷蔵の話しに耳を傾けている。
「でもちゃんと解ろうと思えば優しい先輩だよ、ただあの笑顔は不気味だし、よく解らないし、僕もまだ全然慣れないけれど」
「はぁ…」
正直、不意に見てしまうと今でも驚いてしまう、しかしころりと笑顔を浮かべて現状がいかに楽しい環境であるかを証明する、いまだにショックの抜け切れていない久作は生返事だ。
そんな久作を見て雷蔵は更に朗らかに笑う。
「久作なら、真面目だし、この半年間、委員会の仕事を頑張ってくれてたから、きっとわかるようになるよ」
ぽんとまだ小さな肩を叩くその手は暖かく、じわりと久作にその体温が沁みる。

「……」
「どうしたの?」
まだ何か言いたげにじぃと雷蔵を見る久作の目は明らかに否定と疑いとが入り混じっていた。雷蔵はその目を見、一瞬だけ足元がぐらつくような不安に襲われる。
「でも、不破先輩が一番、中在家先輩を理解する事について負けないと思います」
「……」
今度は雷蔵が驚く番で、久作のその言い分とその自信はどこからくるのだろうとかそんな事は無いなどと、必死に冷静になろうと余計な思考を巡らせる。
「えっと…ありがとう…?」
頬を赤く染め、照れながら雷蔵は久作に礼を言う、普段から回りに素直な言葉を真っ直ぐに投げてくれる人物がいない所為か、どうにもこういう言葉には対応が若干遅れてしまうのだ、そのためか単純な語彙でしか返す事ができなかった。

「でも、僕以上にきっと先輩をわかってる人がいると思うよ?」
例えば、と何人かの先輩の名前をつらつらと言い挙げる、後輩の割には比較的意図を汲み取れるというだけで、先輩たちはもっと上手くできるのだろうと思いながら、自分はひどくちっぽけな人間だと過小評価する雷蔵を言いくるめる弁舌は残念ながら久作は持ち合わせていない。
どう言い返そうかと困った表情の久作を見ていた雷蔵だが、不意に図書室の方が騒がしくなったのでそちらへ気を取られる。
薄い戸の奥から長次の名を呼ぶ声が聞こえ、次に雷蔵を呼ぶ声が聞こえた、おそらく図書室のルールを侵害した粗忽者を長次が眼力鋭く罰しようとした上での騒ぎだろう、雷蔵にとっては日常茶飯事だ。
「ごめんね、先に戻るね」



久作に目線を合わせて謝罪し、雷蔵は慌しく図書室に戻っていく、そうして流れるようなもはや手馴れた作業で見る間に長次を押さえ込むのだろう、閉じられた図書室への戸を開かなくとも解る結果だ、なにしろこの半年、久作はその光景を幾度となく見てきたのだ。
「…だから、誰にも負けないと思うんです…」
彼ら以上に、きちんと目を見て、会話をしている人間を、まだ世界の狭い久作は見た事がなかった、きっとこれから広がるであろう世界でも、おそらく彼らのような関係性を維持している人間は極少数であるだろう。


本当は、長次があの笑顔ほど恐ろしい人間でない事も知っている、でも笑顔を見た途端、どうしても「恐ろしくない」とは信じられなかった。
雷蔵も、そうであったのだろう、しかし今のような関係性を築くにまで至った、その信頼と言う想いに心底憧れた、自分ではそんな信頼をあの先輩と築けるという事が無理だと心が知っている、彼はきっとそれが可能な数少ない人間の一人なのだろう。













「負けないでください、誰にも」












長次は雷蔵の、雷蔵は長次の、常に隣にいて欲しいと願った。

















一言
長男、久作誕じょ…登場です。一部、長雷フィルター通さず、原作そのままの解釈で書いたので別人っぽいです…;が楽しかったです。
お母さんと長男のコンビ好き。

タイトルの「それ」は…そのまま長次の笑顔です(笑)あのステキスマイルは一度見たら鮮明に脳裏にでも焼きつくと思います。






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