ガタ…ン





そうだ、なんだ、判りきっていた事じゃないか。
なんで今まで目を逸らしていたんだろう。
なんで今まで見ないフリをし続けていたのだろう。




なんで今まで気付かないでいたのだろう。










あの人が好きなんだって事。












【請詩 〜コイウタ〜】





新入生入学で慌しかった春も終わりかけ、徐々に暖かさが日々増していく湿気と共に暑さへ切り替りそうな頃、日が長くなり始めた事を利用して図書室の本の破損を点検していた長次はのそりと暗い書庫から顔を出す。
閉館間際で薄暗い図書室はいつも以上に静かに冴え渡っていた。
その日の図書当番だった雷蔵はいつの間にか書庫から出てきた長次に気付いて進めていた閉館準備を一旦止めて、カウンターから出て「お疲れさまです」と言いながら近づいた。
雷蔵と同じく今日の当番である久作は実習のため不在、きり丸と怪市丸は補習のため急遽休み、代理を立てる暇もなかったが作業の手馴れた五、六年である雷蔵と長次がいればなんとかなるだろうと二人だけで当番をしたのだ、実際人手がない分忙しかったが、それでもピークが過ぎれば暇でしょうがなかった、長次はそんな暇に耐え切れず、書庫へといつの間にか逃げていたのだ。

その長次の手には本、きっとどこかしら破損したものなのだろう、これを勝手に一人で修復し、いつの間にかまた元の場所に戻すのだ、どうやら委員長になってもその自主的な作業は相変わらずのようだ。
彼に抱えられている本は少し手に余るようだったので雷蔵は「持ちます」と半ば強引に破損した本を数冊受け取る、長次は少し申し訳なさそうにしていたが、すぐに諦めたようだった。
「もう少しで閉館作業終わるので、終わったら手伝います」
夕食には少し遅れてしまうが、それでも委員長一人に仕事を押し付けて罪悪感に苛まれるよりはマシだった。
長次はというと無表情のままただ頷いてすたすたとカウンター奥の作業場へ向かう、わかりにくいようだが許しが出たようでホッとした表情を浮かべて雷蔵もそれに続いた。

幸いにも利用者は閉館前に全員退出していたので定時には少し早かったがもう利用者は来ないだろうと作業を進めて閉館してしまい、先に長次が入っているカウンター奥の作業場に雷蔵も続いた。
作業場と言っても、カウンターの後ろ、少し広く取ったスペースに衝立を直角に立てかけて区切り、目隠しをしているだけの質素なものだ。
故意に人が一人通れるほど開けた衝立の隙間、つまり入口から入り、作業台の脇に、台より高く積みあがっている破損した本の修復を雷蔵も始める。

破れているものは上から和紙を糊で貼り、文字があれば乾いたあとに薄く透けているその上からなぞるように書く。
ページが千切れているものは新しい紙に書き直してとじ紐を一旦解いてからそれを差し替える。同じ本は滅多にないので、なくなった部分の文章の修復はどうすればいいのかと雷蔵が首をかしげていたら、文章は恐ろしい事に長次が全て覚えていたようで口頭で呟く声を聞き取って書き直した。

薄暗くなる室内の中、早々に手元に自分は例外だとばかりに灯りを照らし、無言のままに作業をしていた長次に習って黙々とその作業をこなしていく雷蔵だったが、元々の大雑把な性格が災いしてか細かい作業になると力が入り、どうしても指先が自然と震えてしまっていた。
もちろん雷蔵自身も以前から自覚している事であったがどうしても治せないでいたのだ。
顔はお互いに伏せて机に乗っている本を見ているが、長次が雷蔵のどうしても治らない手つきに気づいている事を知っている雷蔵は長次に鋭く睨まれているような気がして中々顔を上げられないでいた。

「……」
きりの良い所で一旦手を止め、改めて雷蔵がそれまで直した物を見直してみるが、やはり何度見ても雑である、隣で比べる対象があるのだからなおさらそう思えた。
溜息をついてちらとお手本である委員長の手先を盗み見ればいつも通りの手馴れた手つきで、細やかに作業をしていた、作業台の脇に積まれている長次が修復した本を手にとってみればどれも丁寧に直されており思わず息を漏らす。
雷蔵よりも大きなその手にはそぐわない、細かな動きはとても真似できない、初めて見る器用な一面に、また尊敬する。
その手は時に見合うように大仰に武器を振り回したりもする、ごつごつとして力強く、そして頼もしかった、かと思えばその手で雷蔵を始め、下級生の頭を良く撫でもする、その時の手は優しくて暖かい。
全員、口にはしないがそれが好きだった。

不思議な手だと改めて認識する。

「……」
手をじっと見つめるあまり、長次が見ている事に気づくのが遅れた雷蔵はハッとして顔を上げる。
彼の目は明らかにどうしたと訊ねていた。
「あ…いえ、先輩と比べて僕のは出来が悪いなーって…」
それこそ長次の直した本とは並べられない粗悪さだと思っているが、実際は確かに所々のずれや直しが荒い所もあるが、それでも経験の浅い下級生が直すよりも修復してきた時間分ずっと丁寧である。
彼の雑な直しに気付いている長次はそれは雷蔵の個性だとみなし、特に気にする事無く彼の手の中にある修復された本を一瞥すると、構わない様子で提出を躊躇っている雷蔵の手を掴んでその中に仕舞われていた本を奪う。
雷蔵は抵抗する間もなく本が腕の中から消えていた事に呆気にとられた。
「……」
ぱらぱらと修復具合を確認している長次の表情は無表情で感情を推し量りにくいのは相変わらずだった、慣れていても恐ろしいに変わりは無い。
その時間をとても長く感じたが、実際にはほんの僅かでしかないのだと雷蔵は自らに言い聞かせる、そうでもしなければその威圧に負けてしまいそうだったからだ。

「あの…雑ですみません…」
重い空気に耐え切れず思わず言葉を口にする、自分から手伝うと言い出したのにこの様である、情けなく溜息をついて俯いている雷蔵の頭にはいつもの暖かい感触が伝わった。
「…え?」
一瞬でいつもの彼の癖だと気づいたが、冗談だろうと思わず顔を上げる。
どうして、彼は頭に手を乗せたのだろう?と一瞬にして沸いたたくさんの疑問符で思考が埋まり、僅かにぼんやりとしていた。
「よくやった」
目の前には長次のような、別人のような、彼がいた。
ぼんやりとしていた思考が、疑問符が一気に彼によって取り払われるような気がし、頭が一瞬のうちにカラッポになる。



思わず、息を呑む。












…笑っているのだ。















いつものあの何を考えているのか全く読めない不可思議な笑いではなく、極自然に、思わず別人かと思ってしまうほど普通の笑顔。
あの不自然な笑顔とは全く違う種のそれはいつか雷蔵が思っていた事を髣髴とさせる、それがなんだったかおぼろげだった雷蔵は確かめるべく記憶を残らず探る。

そして、その記憶を見つけた。


ガタ…ン


驚きのあまり立ち上がろうとしてしまい、膝を作業台の裏にぶつけ失敗した。
その振動で摘まれていた本が崩れ、作業中の開かれた本の上に和紙が散らばった、墨で汚さなかっただけましだが、作業を煩わせたのは確かだ。
「…あ…」
散らかした罪悪感と突然理解してしまった自分の心との葛藤との戦いに雷蔵はとにかく混乱する。
いま、自分が自分の両足で立っているという自覚すら危うい。
混乱し続ける思考の中、まず何を言うべきかを考えるが追いつかない。
「す…すみません…!」
やっとの事でとにかく作業台の上を散らかした事を謝り、それを言うなり雷蔵は衝立の陰から飛び出す。

誰もいない図書室を出て、廊下に出る。
少し慌てたが、そこまではただの早足だった、この早足だってきっと変に思われただろう。
でもそれでもこの理由が知られなければいくらでも変に思われても良いのだ。
「…っ…!!」
早足の反動か、堪えきれなくなって勢いよく廊下の窓から飛び降りてそのまま外を走り始める。
目指すは誰もいない校内の外れにある森。


◇◆◇


校舎に面した運動場に出ると人影が横切った、自分と同じ顔…ではなく自分が借りている顔だと知った三郎は突然の事に驚く、雷蔵があれほどまでに血相を抱えて駆けていくのが珍しかったのだ、普段の彼は慌てる事はあれども見境無く混乱し、パニックになる事は無かった。
つまり彼をそうさせるほどの珍しく、ひどい何かがあったのだ、追いかけたい気持ちもあったが、雷蔵の行く先は大体予想がついてることもあり、三郎は自分に落ち着くように言い聞かせてまずは原因究明からだと雷蔵がやって来た方向を見る。

それは数名の生徒がいる校庭の端で、いつもと変わりない風景であった。
ただ、一つだけ違ったのは隣接して並んでいる校舎、三郎は今、その校舎で更に闇が濃くなってる位置に立っている。
校舎の一階の窓は一つだけ中途半端に開け放たれていた、それは丁度図書室の前の廊下に当たる場所だ。
パニックになった雷蔵が、飛び出てきたのはおそらくそこであろう。
運動場にいる生徒の数名が窓と雷蔵が走り去った方向を交互に指差して会話をしているらしき事からそれを確信する。
「――…」
確か今日は週に一度の図書当番の日で、放課後雷蔵がいそいそと図書室に向かった事を思い出す。
太陽を見ればとうに沈んで僅かに光の余韻が残っているだけだ、図書室の閉館は基本的に日没である、それ以降は基本的に火気厳禁である図書室に灯りを持ち込む事はできないので本が読めない、つまり開館していてもあまり意味がないのだ。
恐らく図書室はもう閉館している、だが、雷蔵はきっと居残りで今までなにか作業をしていたのだろう。

そのときに、何かが起こったのだ。

「――ただじゃ済まさないね…!」
独り言を呟いて三郎はひょいと開け放たれた窓枠に着地する、いつもの訓練と比べれば楽なものだ。
目の前には閉館の札を掲げて閉じられている図書室の戸。
図書室内にいる人の気配は一つ。
間違いなく、彼はまだ、図書室内にいる。
三郎は廊下に降り立って入口の前で呼吸を整える、そして思い切り戸をスライドさせた。

乱暴に開かれた戸はいつもより派手な音を立てて三郎に従いその身を退かす。
すぐに三郎の視界に映った図書室内はいつも通り静寂に包まれていたが、闇が加わったことにより雰囲気はがらりと変わっていた、人が一人、まだいるというのにまるで廃墟のように静まり返っている。
「おい、いるんだろう?」
おくびにも出さす、三郎はずかずかと図書室内に足を踏み入れる、床板がきしきしと音を立てたが足音にかき消された、昼間なら気にならないこの音も、閉館し、静まり返った図書室にとっては十分な騒音だった。

三郎の、予期していたとおりの人物はのそりと唯一の光が灯っていた奥の衝立から顔を出す、確かそこは雷蔵の話しに寄れば本の修理など行う場所で、図書室の景観を損ねる散らかり具合だからと何年か前から目隠しの衝立が立つ様になったと言う、相変わらず何を考えているか読み取れない表情の長次がまさにその衝立から現れたのだ。
「あんた、雷蔵に何をした?」
うだうだと話すのももどかしく、少しでも長く話すのもわずらわしかった、三郎はイラつきながらシンプルに質問を長次に投げつける。
だが長次はそのイラつきをさらりと交わして冷静に首を横に振った、何もしていないといいたいのだろう。
その無言がより三郎のカンに障った。

三郎の両手はいつの間にかこぶしが作られ、肩で息をしている、怒りのあまり興奮しているのが三郎自身もよく解った。
「嘘つくな、アンタしかアイツを混乱させるやつ、他にいないんだ」
「――…?」
三郎はそう言いながら長次に近づいてつかみかかろうとする。
だが、長次はそれすらもまたさらりと交わして三郎の背を床に叩きつけた。
それはまさに一瞬の出来事だった。
「っ…!!」
衝撃による振動で声が震え、背から体の先に向かって波紋のように痛みが広がる。
冷たい床に突っ伏しながら見上げると、長次は相変わらず困ったように不思議そうにしかし無表情で三郎を見下ろしていた。

「…図書室に入るときは…手を洗え」
三郎の質問に答えずに長次は一方的に意味不明の言葉を並べ立てる、訳がわからず反論しようと息を吸う三郎だったが、自分が外からすぐに来たこと、手が僅かながら土で汚れている事を思い出す。
それについて長次は三郎を床へたたきつけ、注意を促したのだ。
「わかったから…離せよ」
彼は、後輩のことよりも何よりも、図書室の、本を守るほうが大事であるのだ。
雷蔵の事を今以上に問い詰めて聞いても、きっと「解らない」と言う答えしか返ってこないのだろう。
それに気付いた途端、三郎の中で燃え上がっていた怒りが急に消え去った、後に残ったのは冷たい塊だった。

「雷蔵はお前なんかに渡さない」
自由になった体を起こしながら振り返り、長次を思い切り睨みつけて静かにそれを宣言する、長次はそれを聞いてもなお表情を崩す事無く人を射抜くような目で三郎を見る。
ゆっくりと三郎は立ち上がっていたが、身長の差からやはりまだ長次は彼を見下ろしていた。
「雷蔵が、どれだけ――」
そこまで言いかけてふと、三郎は口を塞ぐ、雷蔵に関心を示していない長次にこれ以上話しても意味は無いと思ったからだ、そしてそれ以上に雷蔵の気持ちを許可なく伝えることにも気が引けた、一時の怒りで彼の信用を失いたくはない。

「とにかく、雷蔵を悲しませたら許さない」
ただじゃ済まさない、と宣言したとおり隙あらば殴るつもりでいたが、長次に構うよりまず雷蔵だと思って止めたのだ。
拳を作ったまま三郎はそのまま長次を見る事無く図書室を出る、進入したときと同じく窓から飛び出し、急いで雷蔵の元へ行こうと森の中へ入る、きっと彼はどこか人の少ない所で蹲っている。

三郎はふと、あれほど急いていた足を止めて空を見上げた、思い起こすはそれを知ってしまったあの夜のこと。
図書室では結局雷蔵があれほどパニックになった理由を知る事はできなかったが、持ち前の勘のよさで三郎は先程の長次の様子も踏まえて確信する。


…雷蔵は、どんなきっかけかは知らないが気付いてしまったのだろう――…


「ようやく、か…」


その呟きは、嬉しいのか、悲しいのか、悔しいのか、三郎にはわからなかった。



◇◆◇




そうだ、なんだ、判りきっていた事じゃないか。


なんで今まで目を逸らしていたんだろう。


なんで今まで見ないフリをし続けていたのだろう。




なんで今まで気付かないでいたのだろう。




あの人が好きなんだって事。






雷蔵の中で突然花開くように自覚してしまった感情は燻る事無く彼の心を素早く支配し始める。
その思いをなんとか手綱に取ろうとがむしゃらに走るが、もう、止まらなかった。
「――っ…!」
込み上げた声は言葉にならず空気に拡散した、堪えた反動で体は震え、気付けば涙を流している事に気付く。
涙を拭こうと立ち止まってようやく先ほど机にぶつけた足の痛みがじわりと広がる、今は服ごしで解らないが、きっと痣が出来ているだろう。
自分のその慌てぶりに少々呆れながらも深呼吸をしてすぐそばにある木にもたれて落ち着こうとする。
こんな醜態、誰かに見られてやしないかと一瞬冷静になって気配を探る、木々がざわめく暗い森の中には数人の生徒の気配を感じたが、運よく雷蔵がここでこうしている事に気付く位置に人はいなかった。

気を紛らわせ、落ち着こうと考えても、想いはより明確に、もはや到底消せるようなものでも、誤魔化せるようなものでもなかった。
いつからかはまるきり解らない、だが、想いは確実に今まで心の奥のどこかに存在していた。
それが今になって正体を現して、侵食し始めたのだ。
雷蔵は、それに薄々感づいていながらもつっぱねってなぜか拒絶していたのだ。
今となってはその拒絶していた理由もなんとなく解る。


数年前、「笑えばいいのに」何気なくそう願ってみた。


願いは叶った。


まさか自分の気持ちの自覚という代償があったとは思ってもみなかった。
理解した今、様々な出来事を思い返してみるが、あれは「モヤモヤ」ではなく「ドキドキ」だったのだと気付く。
そうすれば全てのモヤモヤに理由がつき、更にモヤモヤした理由も説明がつくのだ。









「ああ…憧れるだけで、よかったのになぁ…」




請い願ってしまった。















一言
雷蔵、恋の自覚編。
シリーズにする上で真っ先に思いついてて実はかなり初期に書き終えてました、でも雷蔵視点だけだと短かったので長次VS三郎を加えたら…ごめんなさいなシロモノに。




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