突然、慌てるように退室してしまった雷蔵に驚いて。


突然、雷蔵と入れ違いにやってきた三郎に驚いて。


そして、笑顔になった自分に、驚いた。
闇に向かって首をかしげ思い返すが、雷蔵が慌てる位、ごく自然に笑う事ができたのだ。
どうやって笑顔になったかという記憶はもはや曖昧でよく解らない、ただ、雷蔵を愛しいと思っただけなのだ。



そう、とても、単純に――…



…ああ、やはり彼の事が好きなのだ。




そう思いながら、記憶は巡る――…












【請詩 〜こいうた〜】





「本当ですか?!わぁ、楽しみです!」

それまで畏怖し、遠まわしにしていたというのに、その様子が微塵もない笑顔にただ驚いた。
心底、楽しそうなその笑顔にどきりとする。
今まで笑顔なら同室である友人の小平太を初め見慣れているはずだ、だが雷蔵のその笑顔は彼らの笑顔とは明らかに違って一線を隔していた。
何故だろうと思いながら他とは違う笑顔に無意識に手を伸ばし、同じ笑顔を作ろうとしたが、笑顔だけは叶わなかった、頬の筋肉がそう動いてくれなかったのだ。
動いてくれた手だけで長次は雷蔵の頭を撫ぜながら思考を働かせる。


ああ、どうしたらその笑顔のままでいてくれるだろう?




ああ、どうしたらその笑顔をずっと自分に向けていてくれるのだろう?




「それはね、恋だよっ!」
小平太が嬉々として答える。
明らかに面白がっているのがわかる、これが仙蔵や文次郎ならたとえ面白がっていたとしても表情には決して出さないのだろう、相手の意図が汲み取りやすい以上、相談者に小平太を選んで正解だったと長次は内心ホッとする。

あれから数日が経ち、ようやく疑問をたどたどしくながらも言葉に出来るようになった長次は、同室で気の合う小平太に相談を持ちかけていた、と言っても説明はとても簡単でほかの人間に言わせれば「雷蔵の笑顔を見たらドキドキした、どうして?」の一言で片付けられるのだが、元々が話し下手の長次のその一言は無言の時間の方が長い位にゆっくりだった。
小平太と長次は趣味こそ全く合わなかったが、恐ろしいほどに気は合った、一年の頃から同室であったが、喧嘩は他のクラスメイト達と比べるとほぼないに近い、気が合う所為かよく振り回されてもいるのだが、特に不快ではなかった。

今も自主トレと飛びだして行きそうな小平太を引き止めての相談だ、堪えきれないのか小平太は先程からそわそわし始めている。
「…そうなのか?」
「そう!絶対そうだよ!長次は恋してるんだよ!」
言われてみれば確かにそうかと思えなくもない、これがい組の二人なら何か企んでいるのかと思うが、隠し事の出来ない小平太だ、信用してもいい。
「…すまない、ありがとう」
「へへっ、あ、この事さ――…」
どうせ言いふらしたいのだろう、しかし自分の事を言いふらしても良いか?と問われ首を縦に振る人間はいない、長次は小平太が全てを言い終わる前に無言で首を横に振った。
無言、と言うのが威圧感を増したのだろう、小平太は素直に口を尖らせながらも頷いた。

「じゃー自主トレ行って来るね!」
長次を気遣ってか、それとも自分が単にガマンできなくなったのか、小平太はいそいそと部屋を出ようとする、その間際、くるりと振り返って長次に笑いかけた。
「ねー告白はー?しないの?」
「……」
そんな事、考えてもいなかった長次は無表情のまま小平太を見送った。


小平太は夜の闇に紛れすぐ手前の庭に躍り出る。
背後からの気配に思わず長次がついてきたのかと警戒する事無く振り返るとその一瞬の隙を突いて地面に叩きつけられる。
「うぇぇ?!」
驚いて混乱している彼を二つの影が抱え上げ、長屋から離れた場所へ連行される、担がれながらその正体に気付いた小平太はケタケタと笑いを上げた。
「仙蔵に文次郎ーなんでこんな事するのさー」
言葉は非難めいているが口調は全く楽しそうだ。
気付かれたかと二人は担いでいた小平太を地面に下ろす、どちらかが舌打ちをしたが、おそらく仙蔵だろう。

仙蔵と文次郎はどちらかといえば小柄なほうで、ここ最近、身長が伸び始めている小平太とは頭一つ分の身長差があった、小柄なので二人かかりでないと小平太を担げなかったのだろう。
「なぜもう少し泳がせて話しを面白くしない?」
そんな小柄な仙蔵にまくし立てられ、小平太は珍しくその話が何たるかに気付く、先程の長次のあの相談事である事は間違いない。
「え…ええ〜…」
「話しは全部聞いたぞ」
残念そうに肩を落とす小平太に、仙蔵にイヤイヤつき合わされた割には嬉々としている文次郎が更に追い詰める。
思っていた通り、見事に盗み聞かれていたのだ、どこから聞かれていたかは解らないが、そういう噂を聞きつけ、駆けつける速さには脱帽だ。

「全く…無自覚でいるところをつついてからかってやろうと思っていたのにお前が自覚させるような言動をするから…!楽しくないじゃないか」
常に自分がいかに退屈せずに生きるかを、もうこの歳で実行している仙蔵は、学園の生徒から見れば立派な鬼だ、だがしかし上手い立ち回りでもみ消しも丁寧で、彼の素性を知るものは数少ない。
「ええ〜でも長次をからかうなんて無理でしょ〜?」
長次も小平太や文次郎同様、仙蔵の素性を知る一人だ、出来ない上にひっかからないはずである。
「近いからこそかえって気付きにくいのだろうな」
「その通りだ文次郎、これでしばらく楽しく遊べると思っていたのに…!」
仙蔵をフォローする文次郎も、相変わらずイヤイヤながらも楽しんでいる、となれば小平太が取る行動は一つだ。
「ごめんね仙ちゃん、お詫びに協力するから、ね?」
実際、何も考えていないのだが、そういう立ち回りは上手いのである。


◇◆◇



恋だといわれ、それでもまだ納得できずにいたが、日を重ねるごとに、まるで暗示にかかる様に惹かれていった。

その間、もちろん友人達のスキンシップとも言える揶揄はあったのだが、それすら全く気にならなかったのだ。

ただ、いまだに恋かと問われれば首を傾げてしまうが、それは長次からすれば些細な事だった。



恋、なのか…?



何度も自分にぶつけてきた質問だが答えは無い、答えとなるべき言葉が存在しないかのようだ。
やはり返って来ない返事に小さく溜息をつく。




「中在家先輩?あの…閉館作業終わりましたけれど…」
ふいと頭を上げると、いつの間にか辺りは暗く、目の前に立っている雷蔵のその表情さえも闇に溶けかかっていて曖昧だ。
もうそんな時刻かと退室するべくカウンターに広げていた本を閉じて立ち上がる、読んだ場所は覚えているので枝折りは必要なかった。
元々、開いた時から一行たりとも読み進んでいなかったのだから。
「あ、先輩…!」
雷蔵にしてはやや強めの語気で思わず彼の方へ振り返る、闇に慣れた目がはっきりとその姿を見た。

引き止めたにしては中々言い出せないのか続きを話そうとしない、雷蔵のそばへ近づいて見下ろし、彼の言葉をひたすら待った。
「あ…ええとー…この前は、迎えに来てくださってありがとうございます」
雷蔵の発言に一瞬だけ首をかしげたくなったが、すぐに先日、お使いに出た雷蔵を峠まで迎えに来た事かと思い出した、あの時も確かに「ありがとう」と言っていたというのにまだ言い足りないようだ。
「あの時も、言った…」
「そっ…そうなんですけれど…あの聞きたい事があって…」
どうやら先の感謝の言葉よりもこちらの方が本題だったようだ、更に言いにくいらしくまた視線を上に上げ、彼らしくも迷っている、ここで一押ししても良いがあくまで自発的に言ってほしかったので、やはり先程と同じように黙って待つ、雷蔵はそれを申し訳なく思ったようで先程より短い時間で言葉を繰り出した。

「あの…どうして迎えに来てくださったんですか?」
「……」
雷蔵の質問に答えられなかった、長次自身も良く解らないままの行動だったからだ。
ただその日は読んでいた本が閉館間際より早く読み終わり、新しく探すにも時間がなく、どうするかと思っていただけだったのだ。
ふと、雷蔵もこうして迷うのかと思った瞬間、何故図書室にいると言うのに彼が傍にいないのだろうと首をかしげ、そして傍へ行こうと図書室を、閉館前に退室した。
よく考えれば図書室に一緒にいるのは当番の日が同じだからであって、義務により一緒にいるだけなのだ、それに気付いたら空しくなった。
彼を好ましいと思う気持ちは未だに義務により生まれたものでしかなかったのだ。

義務じゃなくても、一緒にいたいと思っては駄目なのだろうか。

半ば、その疑問に反抗する気持ちで、気付いたら外出許可を取り、学園を出ていた。
だから特に迎えに行った理由は無いのだ、と思い深く考える事はなかった。
しかし今、雷蔵にそれを問われあの時の自分の心情の記憶を掘り起こす、そしてこの疑問こそが理由なのかもしれないと気付いた。



一緒にいたいから逢いに行く事。


これは恋、なのか?


その答えが今明確に肯定され帰ってくる。



「迎えにではない、偶然だ」
あくまでも、子供っぽいかもしれないが、そういう事にしておきたかった、自分の中でその気持ちが明確になってしまったのだ、尚更その答えを言うわけにはいかない、それ以上の追求を避けるためにはこれが最善であると考えた。
雷蔵も頭の回転が遅いわけではない、追求を避ける為の言葉だと気付いたのだろう、あっさりと引き下がった。
これで追求を避けた理由を察しなければいい、真実を知って、混乱するのは彼だ、困らせるくらいなら気づかせないほうがいい、気付かせない自信なら、ある。
「お先に失礼します」と遠慮がちにそそくさと去る雷蔵の背中を見送る、それは暗く染められた入口に消えた。





たった一度の義務では無い時間。


暖かい手。


並んだ記憶。


それらが全て遠い過去のように懐かしい。










ああ、請い願ってしまった。




















一言
長次恋の自覚編。
長次もずっと前から自覚の気配はあったんだよ、って話です。ただ核心を得たのは雷蔵の自覚とほぼ同時ですが(笑)
繊細だけれど無関心ゆえ鈍感。




SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送