それは、彼を良く知る人間たちによっては大事件だった。
「……」
不安そうに彼より僅かに背の高い長次が彼を見下ろす、彼は周りの友人達の気配に気付いたのかのろのろと顔を上げた。
真っ先に目のあった長次は無言のままどうしたと彼に問いかけている。

「ん〜…滝が…口利いてくれない…」

たったそれだけのことで、これほどまでに落ち込んでいる小平太を見るのは初めてだった。





【Face to Face】





「七松先輩を殴ったんだってね」
「……」
学園に噂が広まるのは早い、もとよりその光景が公共の面前で起こった分、証人も多く言い逃れは出来なかった。
同室の喜八郎に言われて気まずそうに滝夜叉丸は俯いていた顔を上げる、後悔しているような複雑な表情だ。

後輩には高飛車とも言われている滝夜叉丸だが、上級生との実力差のわからない馬鹿ではない、先輩方は素直に尊敬していたし生意気な態度は控えていた。
だが、言いたい事は隠さずに素直に言う、特に同じ委員会の委員長、七松小平太にはより親しい分、容赦もなかった。

「あれはっ先輩が悪いのだ…!」
「ふうん」
弁解する滝夜叉丸に喜八郎は冷静に受け流す、いや、冷静と言うよりただ単純に興味が薄いのかもしれない。
現に聞く態度も聞く態度で、ごろりと部屋の真ん中に横になって本を読んでいる、どうやら滝夜叉丸との会話は本人にとって片手間も同然のようだ。
だがそんな光景が日常と化している滝夜叉丸は気にしないで話を続ける。
「あんなっ…公衆の面前で抱きついてくるなんて…!」
「タカ丸さんだって豆腐の先輩に抱きついてるじゃない、それにこの前図書室でも――…」
「タカ丸さんのあれはふざけているだけだろう?」
それが後輩への親しみをこめたスキンシップ程度ならまだ許せた、それくらいなら昔からされているし今の後輩たちにもしているからだ、そんな親しみをこめた抱きつきではなく、明らかに恋人としての態度が許せなかったのだ。

なぜ、こんなにも小平太に好かれているかも解らないまま、いつのまにか強引に押されて付き合うことになっていた、嫌いなわけではないむしろ近しい上級生ともあってか尊敬している、先輩として――多少強引ながらも――率先しながら動いてくれる彼を疎ましいと思った事はそれこそ無理やり六年生でも過酷な自主トレに付き合わされることくらいだ、上手く、断れた事は無い。
常に前を行く彼だからこそ、こうして好かれてる事さえ一瞬では無いかと疑ってしまう。

明日、もし目が覚めて――…

別れの言葉を告げられたらと思うと不安で近づきたいと思うより近づく事はできなかった。
「ふざけてるようには見えないけれど…」
まるで心を見透かしたかのような喜八郎の言葉に滝夜叉丸はどきりとする、しかしすぐに先程の言葉に対する返事だと気づいて内心ほっとした。
「…私にはそう見えるが?」
平静を装って喜八郎と会話を続ける。
しかし彼はと言えば心変わりをしたのか単に飽きたのか、それ以上答えることなくごろりと体勢を変えてまた読書に集中した、彼のこうした気まぐれな行動は良くある事だと滝夜叉丸は気にも留めなかった。

果たして、自分のどこが好かれているのか全く解らないし、こちらも向こうのどこが好きなのか解らない。
だが、付き合っているのは事実だ、それを隠す気は無いが人前で恋人らしい行動をするのはなんとなく気が引ける、というのに向こうは所構わず、しかも迷惑なほど大げさに行動を起こしてくる、こちらが嫌がっても、だ。
「照れ隠しだと思うよ」
「え?」
いつの間にか本を閉じてた喜八郎は仰向けに体勢を変えて目を瞑っていた、寝ているのかと思えばそうでもないらしい、行動こそ理解不能だが、言葉は先ほどからどきりとするものばかりだ。
「だから、タカ丸さんの行動、照れてるだけだと思うけど?」
ああ、まだ会話が続いていたのかと滝夜叉丸は呆気に取られる、そしてこうも動揺してしまうのはタカ丸の行動が小平太のそれに近しいからだと身勝手にも憤った。
「そんなものか」
これ以上、心理的にダメージを追いたくないと思い適当に会話を切り上げて部屋を出る。
喜八郎は部屋の気配が自分ひとりになった事を確認してからうっすら目を開けた。
「…人を好きになるって…良く解らないなぁ…」


◇◆◇


体育委員会の活動には体育で使われる用具の管理もあるのだが、今年の委員長の独断からか大抵トレーニングに変更され疎かになってしまう、それをフォローしようと滝夜叉丸は体育倉庫で管理チェックをしていた。
小平太と口を利かなくなって三日、彼の無謀な行動に対して小言を言いたいのを抑えていれば話さなくても済む事を学習し、更に半ば逃げも同然で委員長の了承得ぬまま用具の管理を独断で進めていた。
実際管理を怠っていた所為か仕事は膨大で滝夜叉丸はこれを一人でやるのかと肩を落とす、生憎と他の委員は小平太のトレーニングから逃れられず、彼に強引に連れてかれていた。
消耗の激しい用具は用具委員に修理を頼むため分別しておく、その作業も大変で気がつけばいつものトレーニングのときと同じくらいの汗をかいていた。
外を見れば薄暗く、もう夜なのかと思いながら滝夜叉丸は軽く伸びをする、倉庫内は昼でも暗く、管理のため灯りを灯し一定の明るさを保っていたため時間の経過を全く感じなかった。

がたりと大きな物音がしてびくりとする、どうやら倉庫の扉が開いたようだ。
「滝ー?いるー?」
扉からは丁度死角になる位置にいた滝夜叉丸はその声が小平太だと知り返事をしなかった、どのみち明かりがついているし気配も消していないので向こうも気づいているのだろう。
また盛大にがたがた音を立てて扉が閉まる、しんと静まり返った空間を探るが小平太の気配はしない。
ここに自分がいる事を確認に来ただけかとひょいと無防備にも扉の方を見ればいないはずの小平太とばっちり目が合った、彼が気配を消していた事に今更ながら気づき、それを予測できなかった自分の浅はかさを呪った、やはりなんだかんだ言いつつ一枚も二枚も上手なのだ。
「滝見っけ!」
折角そろえた用具を乱暴に掻き分けて小平太は滝夜叉丸の元へたどり着く、滝夜叉丸は彼から背を向けるようにしゃがみこんだ。
相変わらず無言のままでいる滝夜叉丸を見て小平太は残念そうに深く溜息をつきながら滝夜叉丸の顔色を窺うように恐る恐る屈みこむ。
「あの…ごめんね、私が抱きついたのに怒ってるんだろう?」
それくらい、気付いてもらわなければ困る、と滝夜叉丸はうなづく、相変わらず口を利いてくれることは無いが意思の疎通が叶ったので小平太はホッとした様子だった。

「なんで怒ったの?」
明け透けも無く、素直に思った疑問を口にするのが小平太らしい、確かに小平太にしてみれば「付き合っているのに抱きついたら怒られた」と言うのはおかしいと思うのかもしれない、これ以上、意地を張るのも大人気ないと滝夜叉丸は息を吸いしゃべる準備を整える。
「…私が抱きつくのが嫌だった?」
「違います、いいですか?恥も外聞も無く人前で勝手に抱きしめられたら誰でも怒ります…嫌なわけでは無いですよ…」
最後の方は少し、声のトーンが落ちていたがそれでもしっかり小平太には聞こえただろう。
彼は滝夜叉丸の言葉を理解した途端、それまで強張らせていた身体をふっと脱力させ、そのまま座り込んだ、その様子は明らかに安心しているようで、懲りずにまたいつか同じ事を繰り返しそうで滝夜叉丸は一瞬許した事を後悔した。
だが、顔を上げた小平太の表情はいつもの豪快な笑みではなく、気の抜けた笑顔で滝夜叉丸は彼の次の行動が読めなくなる。
「良かった、嫌じゃないんだよね…?」
先程の、最後の言葉を反芻するように、確かめるように滝夜叉丸に問いかける、やはり真っ直ぐな問いかけに滝夜叉丸は彼の視線から逃れながら頷いた。
「ええ…」
何故恥ずかしいのかはわからないが、とにかく照れてしまうのだから仕方がないと滝夜叉丸の反応を見た小平太はしばらく黙った後、ぽつりぽつりと話を続けた。

それは恐らく、彼がずっと気に病んでいた事かもしれない、彼の普段の不安のなさそうな行動は、不安を作らないために先手を打って打ち消しているだけに過ぎないのだ。
「私が、無理矢理付き合おうって言ったから…嫌がられてるかもしれないってずっと思ってて」
だんだんとフェードアウトしていく小平太の言葉に滝夜叉丸は耳を傾ける。
確かにきっかけは強引同然だったがそれは小平太にとってはいつもの事であるし、滝夜叉丸はさほど気にしてはいなかった、第一本当に嫌であればはっきり嫌だと言っている、それが例え小平太であっても、だ。
「滝は綺麗で、人気があって、それなのにどうして私と付き合ってくれるんだろうって…先輩だから断りきれないんじゃないかって思ってて」
微かな、彼らしくない弱気な発言はまるで滝夜叉丸が思っていたそれと酷似しすぎていた。
はっとした様に滝夜叉丸は小平太の顔を見る、夜の明かりの所為かもしれない、内容が内容だからかもしれない、改めて見る彼の顔色は優れないように見えた。
勝手な我侭がこんなにも追い詰めてしまうとは思わなかった滝夜叉丸は小平太が自分が尊敬していたよりもずっと真剣に物事を考える人間なのだと、彼を甘く見すぎていた事を知る。
「だから、滝に少しでも好かれたくって」
つい、強引で無茶な行動は滝夜叉丸にとって予想外の思考から出る行動で唖然とする、しかしすぐに首を横に振って懸命に言葉を搾り出しながら答えていた。
「私は…っ!先輩を尊敬してます、立派な方だと思います、だからなんで私を好いてくれたのか不思議で…」
同じ事を思っていたのだから言葉も自然と同じものになってしまう、小平太はきょとんとしていたが構わずに滝夜叉丸は続けた。
「ああいったスキンシップもそう思うと怖くて…」
いつの間にか、頬が濡れているような気がしたが、いつからなのかわからない、気にもならなかった。
気になるのは小平太の目、いつもと違い、真剣みを帯びたそれは彼の本質を物語っているようにも見えた。

「私は滝が好きだから…安心して」
おもむろに手を取ったかと思うとぎぅと握り締める、暖かいと言うよりも熱く、熱を帯びた手は逞しく、どこか頼れる安心感があった。
その行動は小さく些細な事であったがそれまで小平太が取っていたどの愛情表現より優しく暖かで、それが滝夜叉丸には嬉しく、包み込まれた手の内からそうっと握り返す。
「こういう方が好き?」
反応を見れば一目瞭然だろう、しかし小平太はやはり素直に聞いてくる、言葉で真実を得たいようだ。
滝夜叉丸ははにかむように、苦笑するように、良くわからないまま微笑んで頷く、正直な話、不安さえなければ、この諍いのきっかけでもあるが人前でなければ嬉しいに代わりは無い。
「そうですね…できれば公衆の面前であんまり過度なものは…その、恥ずかしいので…」
「解った!気をつける」
小平太のそれまで不安だった表情が消え、ぱあと笑顔になり、その大きな体躯で体当たりするかのように抱きしめる、切り替えの素早さについていけない滝夜叉丸は唖然とした。
「あ、ごめん…!」
言われたばかりだと言うのにそれまでの習性から無意識に動いてしまったのだろう、少しだけ反省の色を見せながら離れようとする小平太の服を軽く掴む、軽い抵抗に気付いて小平太は首をかしげた。
「こっ…ここは、公衆の前ではないです…」
小平太は少しだけ震える手に気付き、優しく笑ってから今度は滝夜叉丸の身体を包み込むように優しく抱きしめる、そのいつもとは全く違うその丁寧な扱われ方に滝夜叉丸は驚き眼を見開く。
「うん、そうだった」
普段よりも低く落ち着いた声が耳に残る、鼓動が次第に早くなっていく中、ゆっくりと目を閉じて身を委ねた。







ああ、私はこの人が好きなのかもしれない。






今更、そんな事に気付きながら――…





















一言
この話を書くにあたってようやく「小平太はどんな人間なんだ?」と本気で考えた…その結果がこれですが。
生意気では無いけれど、自分が正しいと思った事はたとえ先輩相手でも通そうとする滝が好きです。

自覚が無いままこへが好きな滝ですが、こへも滝のどこが好きかイマイチ解ってない。




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