七松小平太先輩は、あんな性格でも一応は学園の最上級生だ。


隙を見せる事は滅多にない――…




【ココアの様なまどろみで】





その夜、滝夜叉丸は初めて自主トレをしている小平太を見た。

滝夜叉丸は普段夜間の自主トレを行わない。
授業のように競う相手がいなくては上達に繋がらないだろうと言う考えからか滝夜叉丸は一人で自主トレする事を好まないのだ。
もちろん実技の予習復習のため外に出る事もあったが短時間で済んでしまう上、庭先で済んでしまうのですぐ部屋に戻ってしまう、よってその時間外に出る事は少なく、更に敷地内外を自由に自主トレをする小平太の姿を見ることなど今までになかったのだ。

翌日の授業の予習が難しく、気分転換のため外に空気を求めて席を立った滝夜叉丸にとってそれは衝撃的な光景であった。
滝夜叉丸の見る小平太はたいてい委員会活動中のそれで、そのときの彼は愉快に、まるで子どもが無邪気に遊ぶように信じられない体力で滝夜叉丸を含めた後輩たちを引き連れまわす。
だが、今目の前を通過した彼の目は真剣そのもので笑みは湛えているものの、雰囲気も動きも全てが酷く鋭かった。
一瞬別人かと疑ってしまう雰囲気に、彼が最上級生であるという現実を突きつけられる。
「――…」
無意識に腕をさすり、鳥肌が立っている事に気づく、それを抑えるように手で撫で付けた。

慌てて長屋の自室に戻りタンッと戸を閉める、同室の喜八郎は自主トレで不在だ。
喜八郎は滝夜叉丸と違い自分のペースでトレーニングを行える夜間自主トレの方が好きらしく、戻ってくるのはいつになるかわからない。
滝夜叉丸は長く息を吐きながら力なく座り込む、脱力した目の前に見えるのは今までちゃんと意識して見ることのなかった自室の床板と、見慣れた自分の両手の甲であった。
手のひらから伝う板の感触は目視できる床板のそれと同じでざらついている、違和感はどこにもない。
やがてゆるりと立ち上がり自分の文机の前に移動する、先程部屋を出る前に開きっぱなしであった本と巻物が相変わらずそこにあった。
巻物を元通りに巻き、本を閉じる、あの光景を見れば今、自分の見ている物は全て意味のないもののように思えたのだ。

布団を敷く気力すらなく、文机の前にぼんやりと座り込む、この状況で喜八郎が戻れば不思議に思うだろうが、構いはしないだろう、そういう男である。
衝撃的な光景を何度も思い出し、何度目かの解らないため息をついたときだった。

「滝ー?いるー?」
戸の向こうからの声に肩を震わせる、立ち上がって、戸をあけなくとも誰であるか声でわかる。
「…入るね?」
先にしばらく置いた間は、室内の気配を探ったのだろう、さらりと戸の開く音に惹かれる様にゆっくり振り返るとやはりそこに小平太が立っていた、先程見たばかりの制服姿のままである。
小平太の前面は部屋の明かりに照らし出され、その背後では闇を従えており、そこは黒一色であった。
「あ、良かったー滝だった!」
完璧に気配を探りきる事はできなかったらしく、滝夜叉丸の姿を見つけるなりほっとした表情を浮かべる、それはまさに体育委員長の小平太の顔であり、先程の六年ろ組の小平太の顔ではなかった。

滝夜叉丸が止める隙もなく小平太は遠慮なく部屋に入りこむ、どっかと部屋の中心に座り込まれるのを見、中腰であった滝夜叉丸はゆるゆると座りなおす。
「自主トレお疲れさまです」
面と向かって労うと小平太はこの状況になれていないのか照れながら居心地悪そうに身体を揺らし、苦笑いをする。
「そんな大層な事してないよ、ただ好きに動いているだけだし」
その言葉を聞いて思わず体育委員会中の小平太を想像してみるが確かにいつも好きなように動いている、だが先程の自主トレの様子を思い出すととてもそうは見えなかった、だから思わず労う言葉が口をついてしまったのだ。
あまりのギャップに別人と思いたくもあったが、あの夜闇で見えた小平太は明らかに小平太であったし現に目の前にいる小平太も自主トレ後らしく所々少し土にまみれている。

「そう…ですか」
「そうそう」
不満そうな様子を無意識に嗅ぎ取ったのか、小平太はそれを吹き飛ばす陽気さで笑う、その様子こそ滝夜叉丸が知っている小平太らしい行動であった、いつもその表情をされると、何も言えなくなってしまう。


「ところで何故この部屋に来――」
「あ、そう!それなんだけどね!」
途中で思い出したのか滝夜叉丸の言葉を遮って小平太は身を乗り出す、僅かに近づいた距離に滝夜叉丸は咄嗟に身体をそらせ距離をとった。
「今日、委員会がなくって滝に逢えなかったじゃん?だから『滝に逢いたいなー』って思ってたんだ」
「はぁ…」
小平太の身振り手振りを交えた勢いに滝夜叉丸はただ生返事をして相槌を打つしか出来ない、口を挟む余裕を彼は与えてはくれないのだ。

「でね、今日そこの前通ったら滝がいてさ!すごく嬉しかったんだ!」
「で、でもあれは…」
気分転換でたまたま外に出ただけの偶然である、しかし小平太の喜びようを間近で見てしまっては「ただの偶然」で終わらせてしまうのが酷いことのような気がしたのでそのまま声をフェードアウトさせた。
幸いにも小平太は嬉しさのあまり滝夜叉丸が何か言いかけているのも気にならなかったようで笑顔のまま先を続けていた。
「だからもうちょっと逢いたくなって早めに切り上げてきたんだ」
悪びれずあっけらかんと笑う小平太に溜息すら出てこない。

  彼のこういう率直な行動力から来る愛情表現は、いつも驚かされるがそれ以上に嬉しいと思う気持ちもある。
  だが照れくささの方が表に出やすいのかそれを上手く伝える事が出来ないでいた、元々感情を素直に出すのが苦手なのだから尚更だ。
  もう少し月日や経験を重ねて行けばそのコントロールも上手く行くのではないかと淡い期待を寄せている。

滝夜叉丸が僅かに赤面したのを小平太は知ってか知らずか勝手に話を進め始める。
「それでね、気になってたんだけど、あの時ちょっと驚いていたよね?」
あの暗闇のしかも一瞬で視界の端にいた滝夜叉丸の表情を判断できた小平太の動体視力に思わず舌を巻く。
逆に滝夜叉丸は小平太の表情を視界の正面に押さえながら一瞬瞼の裏に焼き付けた残像を何度も繰り返し、ようやくどんな表情をしていたかを判別できたのだ、二人の格差は広がるばかりである。
滝夜叉丸は正直に言うべきか思案するように俯くと、小平太もそれにあわせるように首をかしげて滝夜叉丸を見る、その視線から逃れるため滝夜叉丸は更に視線を横にずらした。

「いえ…先輩が自主トレなさっている姿を初めて見たので…その、驚きました」
否定から言葉を紡いだが、実際述べてみると結論は確かに小平太に指摘されたとおり「驚いた事」に行き着く、滝夜叉丸としてはあまり驚いたという自覚がなかったなだけにこの結論を鵜呑みにはできず思わずどもってしまった。
その言葉を聞いた小平太は胸に手を当てやや大げさに安堵の息をついた。
「あ、そういえばそうだね、私も自主トレ中に滝見たの初めてだ!」
アハハと笑いながら滝夜叉丸の目の前でそのままごろりと横になる、大柄で体躯の良い彼には少し室内が狭そうである。
部屋の大きさは一年から六年まで同じ大きさであるので小平太ともう一人、小平太よりも更に身長のある彼の同室者が二人並んでこの大きさの部屋に横になれば本人たちは慣れたろうが視覚的にかなり窮屈になるであろう。

仰向けの小平太に見上げられその見慣れない光景に滝夜叉丸はどきりとする。
夜間の自主トレも進んで行う、実技においては間違いなく六年生の中でもトップクラスの人間が仰向けになり腹部を上下させ呼吸を露わにしているのだ。
呼吸を見せるという事は隙を見せる事と同じでこの状況に驚かない後輩はまずいないだろう。
そもそも先輩として後輩に見せる隙ではない、何故小平太がそうするのか理由を考えただけで滝夜叉丸は嬉しいような、むず痒い、複雑な気分にさせられる。
「あ…あの…」
「んー?いーよ、滝しかいないし!」
滝夜叉丸の言い分を察知したのか豪快に笑い飛ばしながら小平太は滝夜叉丸を見上げる、その顔は体育委員長のそれでも、ましてや六年ろ組のそれでもなく。

この態度で滝夜叉丸の考えていた理由が正解であると証明され、滝夜叉丸は困ったようにはにかんだ笑顔を浮かべると、それを捕まえるかのように下から小平太の両腕が伸びてきた。

「おいでっ」

差し伸べられている両腕に、誘われるがままにうずめた胸元は夜の匂いがした。



◇◆◇


その後、うっかり眠り込んだ滝夜叉丸を床に置いたまま小平太は退室し、自主トレから戻った喜八郎はマイペースに自分の分だけ布団を敷き滝夜叉丸には何もかけず就寝。

翌日、滝夜叉丸が見事風邪を引いたのは言うまでもなく。













一言
気に入らなくて一から書き直したらネタは同じでも雰囲気が別物に…
本当はタイトルみたいな雰囲気の話を目指してたのですが。
この二人って会話してると書きたいテーマからどんどんずれるから…困る。





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