「お兄さまぁー」
「カメ子ぉー」
それはごくたまに忍術学園門前で行われるやり取り、その後も順調に最年少事務員が入門表で二人の行く手を阻むところまでがおなじみだ。彼女の「兄」と親友である乱太郎ときり丸はそれを苦笑しながら彼女を迎える。
「今日はどうしてここに?」
「近くの大名屋敷に届け物がありまして…その帰りなんです」
目の前にいる兄とは違い、五歳とは思えないしっかりした返答を乱太郎はさして驚くこともなく受け入れうなづく、彼女とは顔なじみであるから驚かないのだ。
「丁度授業が終わったところなんだー」
なんていいタイミングだと彼女の兄、しんべエは笑って彼女を食堂へと引っ張っていこうとする、しかし彼女はその手をやんわりと振り払った。
「食堂に行く前に、図書室に行ってもよろしいでしょうか?」
「え?うん、いいよーじゃボクたち食堂で待ってるね」
疑うことすら知らないしんべエに見送られて彼女は図書室の方へ歩いて行ってしまう。その背を見送りながらきり丸ははたと思い出す。
(あ、中在家先輩が不破先輩と付き合ってるの、知ってたっけ?)
しかし彼の性格ではそれを言葉にする事はできなかった、いちいち呼び止めて説明するのが面倒くさかったのである。





【お邪魔虫】





授業も滞りなく終わった放課後、図書室の利用者はいつもと比べ若干少なかった。
雷蔵はカウンターで貸し出しカードの整理をしながら館内に異常がないか回りを見渡す、目の端に捕らえた長次は今日は当番ではない、しかし明日提出の委員会の書類を書くため図書室に来ているのである、そうでなくとも年中、彼が図書室にいない日は演習などで何日も学園を空けるとき位であるが。
常連の顔はだいたい把握している、同じ学年の平助も常連と行ってもいい位図書室に通っている、そんな事だから火薬委員の必要性を問われてしまうのだと雷蔵がぼんやり考えていたそのときだった。
図書館の戸が静かに開いたので雷蔵はそちらへすぐに視線を移動する、誰が入ってくるか確認しなくてはならないからだ。
しかし入ってきたのは予想に反してこの学園の生徒でも教師でもなかった。
初めて見る幼い少女に雷蔵ははて、どこかで見た事がある子供だと首をかしげる。
そしてそれはすぐに一年は組のしんべエの顔であることに気づいた、彼と今図書室に入ってきた少女は良く似ている、外見からして彼女が妹なのだろう。
「あの…」
雷蔵は立ち上がりながら少女に声をかける。
「しんべエの兄弟かな?どうしたの?」
少女ははっとするように雷蔵の顔をじっと見る、間近でみるとより良く似ているのが解った。
「お兄様をご存知なのですか?」
「うん、知ってるよ」
雷蔵は少女の背の高さに合わせてしゃがみこみ、視線を合わせて少女はぺこりとお辞儀をする、深すぎてつむじが見えた。
「兄がいつもお世話になっております、わたくし妹のカメ子と申します」
外見は確かに良く似ている、がしかし中身は全く正反対のようだ、ほやんとしたあのしんべえと同じ顔でしっかりした挨拶をされ雷蔵は一瞬だけ調子を崩す。
長次はその二人のやり取りを音だけで拾っていたが、その途切れた一瞬が気になったのかふと顔を上げる、するとタイミングよくカメ子と目を合わせた。長次と目が合ったカメ子はぱあ、と表情を輝かせながら静かに長次に近づく、彼女は図書室がどういう場であるか理解しているのだ。雷蔵はそれを見送るようにゆるゆると立ち上がってカメ子の行く先を見た、そこには長次がいる。
「お久しぶりです、中在家さま」
「……」
遠すぎて雷蔵に彼の声は聞こえなかったが口が「久しぶり」と動いたのは解った。カメ子はそのまま長次の正面に座り込み彼をじぃとニコニコしながら凝視する。
長次の仕事を邪魔する事は一切せず、それからも彼女が長次の性格を良く理解したしっかり者であることを示した。雷蔵は小さいのにすごいなぁとただ無性に感動しながら彼も図書委員としての仕事を再開させる、あれ以上時間を割けば仕事に支障がでるのでそういう意味ではカメ子がしっかりしていてくれて助かった。
(…あ、少し前に乱太郎たちと一緒に外出してたっけ…それで会ったのかな?)
「久しぶり」という挨拶を交わす二人の接点を考えあぐねていた雷蔵はようやく先日、長次が委員会を代表して堺の港まで本の買い付けに行ったときの事を思い出す。
あれは確かしんべエの実家福富屋からのご好意だったのでそれが縁だったのだろう、あの時は本当に貴重な本を手に入れることが出来てそれを見極めた長次を尊敬すると同時に本の高度な内容に驚き嬉しかった覚えがある。

だがしかし解らないのはそれで出会ってなぜ、カメ子がここに来るまで親しい間柄となったか、である。
雷蔵はカウンターにやってきた下級生相手に本の貸し出して続きをしながらぼんやりと考える。
そもそも長次はその傷のある強面から子供どころか大人からも敬遠されがちだ、一緒に町を歩いていても必ず声をかけられるのは雷蔵からで、子供に至っては泣き出す子もいるほどである。

ふと見回すと利用者はいなくなっていた、どうやら先ほど本を借りた生徒が最後だったらしい。
雷蔵はこの隙にカウンターにお茶の用意をする、普段飲食厳禁で非常食すら委員長に取り上げられる室内だが世の中には「臨機応変」と言う言葉がある、その言葉を屁理屈のように解釈して、たとえば作業が長引いてるときの気分転換や話し合いの時などにこうしてお茶を出したりする事がある。もちろん、図書委員以外の生徒がいる場合は決して用意しないのがルールだ。
夏場ならいちいちお湯を沸かすのも、その後に熱い茶になってしまうのも辛いため冷水にしているが、風が冷たくなってきたこの頃ならばお茶でも大丈夫だろうと雷蔵は長次にお茶を出しながら相変わらず長次を見ているカメ子に向かってにこりと笑った。
「あっちでお茶いれたから、おいで」
「あ、はい、いただきます」
受け答えもしっかりしている、雷蔵は感心しながらカウンタにカメ子を招きいれ、自分もその隣に座った。
さて、どんな話題を振ろうかと雷蔵が考えていると先にカメ子が口を開いた。
「あの、お名前を聞いてもよろしいでしょうか?」
「あ、そっか、ごめんね、僕は不破雷蔵といいます」
先ほど、名乗る前にカメ子が長次のところに行ってしまったので言いそびれてしまったのだ、カメ子は「不破さま」と反芻する、「さま」と言う呼ばれ方はなんともこそばゆい、どうやら彼女にとっては「さま」をつけるのは当たり前のようだ。
「ここには初めてじゃないよね?すごく静かだったし」
「はい、以前一度…中在家さまに会いに来ました」
カメ子の態度は一度は来ているかのように静か過ぎた、雷蔵の予感は的中しカメ子はそれ以前の来訪を知らせる。雷蔵はカメ子とは初対面だ、と言うことは珍しく雷蔵がいない時にやってきたのだろう。
「その時にわたくし、食べ物を持ち込んでしまって…あとでお兄様達に怒られてしまいました」
続いたカメ子の言葉に雷蔵は耳を疑う。この図書室に食べ物を持ち込んだ場合、彼女の「お兄様」が怒るより前に怒る人物がいるはずだ、カメ子がそれを言い忘れたとはとても思えない。
「え?中在家先輩、怒らなかったの?」
「はい、怒りませんでしたけれど…?」
普段の長次であるなら大激怒の末図書室からつまみ出している、それをしなかった長次が信じられない雷蔵と信じられないでいる雷蔵を不思議に思うカメ子とお互いにきょとんとしあう。
「そう…なんだ」
脱力したようにぽつと呟くが、カメ子にはよく聞こえなかったようで、「いただきます」とお茶を飲んでいた。
「あの、お茶もダメだとお聞きしたのですが…」
「あ、本当はね、でもこういう時とか作業が長引くときはやっぱり必要だから」
一口飲んでからはたと気づいたようにカメ子は雷蔵を見上げて問いかける、しっかり者らしいその質問に雷蔵は苦笑しながら答えると、カメ子は素直に「そうですね」と納得した。
「ねぇ、中在家先輩の事…怖くないの?」
無口無表情で何を考えているかさっぱり解らず、さらに体格の所為か威圧感もある、まず怖いと思うはずなのだが、おそらく知り合ってまだ日の浅いカメ子がここまで平気なのも珍しい、彼女に対して長次が怒らないと言うのも恐怖を取り除いた要因なのだろうか、とすれば彼はカメ子を怖がらせないように細心の注意を払ったと言うことである。
普段他人からどう思われようと自分の信念を貫く人がおそらく初めて気を使った。その対象であるカメ子は笑顔で「はい」と言いながらこくりとうなずく。
「最初は確かに怖かったんですけれど…わたくしが躓いて転びそうになった所を助けてもらって、お優しい方なんだと思いました」
「それだけで平気になれるなんてすごいね、大抵の人は怖いって言うのに」
「怖くありません、笑顔も素敵です」
にこりと断言してしまうカメ子に雷蔵はまた虚をつかれ唖然とする、普通、あの笑顔を「素敵」と表現する人はまずいない、と言うことは目の前の彼女は「普通」ではないと言う事になってしまうのではないだろうか、こんなにもしっかりした子供であると言うのに、と先に不安を覚える。
(こういうのを、「恋は盲目」って言うんだろうなぁ…)
思考の片隅でそう思いながら雷蔵は苦笑する。
「アハハ、あの笑顔が素敵って言う人もいないよ、僕は今でも怖いもの」
「そうなんですの?」
あの笑顔の良さが解らないなんて、と困ったようにカメ子は首をかしげる。
「うん、だからカメ子ちゃんは…すごいね」

一度出会っただけで彼を理解した。

「――…ありがとう、ございます…」
ふわ、とそれまでとは少し雰囲気の違う雷蔵の笑顔を見て呆けた様に彼女はお礼の言葉をつぶやく。そして何かに気づいたかのように、この話題はここまでとばかりにはっとしながら立ち上がった。
「あ、あの、食堂にお兄様を待たせてますので…失礼します」
「そうなの?引き止めちゃってごめんね」
「お茶、ごちそうさまでした」
来る時と同じような深いお辞儀に雷蔵もつられて頭を下げる、見ればいつの間に飲み干したのだろう、湯飲みの中は空になっていた。それを雷蔵が確認している間にカメ子はつつつ…と少し離れたところにいる長次の方へ戻っていく。
「中在家さま、また来ます」
カメ子は黙々と書類を書いている長次に向かってぺこりとお辞儀をするとそのまま足音静かに図書室を後にする、最後に戸口でぺこりとお辞儀をしたので雷蔵も笑って返し、廊下の角を曲がるまで見送ってから図書室の戸を閉めた。

パタン、と戸を閉めると一人減ったと言うだけで空気ががらんと物悲しそうに静けさを室内に漂わせた、無駄に物音を立てる利用者がいない所為もある。
静かな図書室内を見渡しながら雷蔵はカメ子を見送った笑顔のまま長次の隣に座る。心なしかいつもより距離が近い気がするのは長次だけではないだろう。
「……」
「……」
雷蔵はニコニコ、と笑いながら、長次はそれまでと同じように黙々と仕事をしながらしばらくの沈黙、それはいつもより長く重かった。
「……」
「……っ」
まず耐え切れなくなった雷蔵は声を詰まらせながらうつむく、長次はそれを隣から目線だけで伺う、雷蔵が何を考えて隣にいるのか当に気づいているのだが、雷蔵はそれに気づかない。
だいたい笑顔が不自然なのだ、いつもの柔和な雰囲気はどこにもなく、先ほどから偽者の笑顔を貼り付けたまま考え事をしているのか心ここにあらずだ、ようやく正気に戻ったかと思えば今度は困ったように表情をゆがめている。

「…僕だって、妬きますよ…」

気まずそうな表情でうつむきながら、普段の長次とほぼ変わらない音量のか細い声で訴える。長次は特に驚くこともなく相変わらずの無表情で雷蔵の頭に手を乗せて軽く撫ぜた。
それに反応し、顔を上げた雷蔵は照れた様子で真っ赤になっている、そして何かを言いたそうに口を何度かパクパクと動かして、結局は言い切れずまたうつむく。
「小さい女の子相手に…情けないです…」
そしてはぁ、と深くため息。長次としては幼子に対しても嫉妬するその気持ちが飛び上がるほどうれしかったのだが、残念な事にそれをうまく伝える表現法を彼は不器用な事にたった一つしか持っていない。
「来るか?」
「今夜」と言う時間と「自分の部屋」と言う場所の説明を省いた言葉は一見難解だが、雷蔵はすぐに理解した。

「…お邪魔します」

顔を真っ赤にさせたまままたうつむき、明日が休みで良かった、と思いながら。





一言
カメちゃんが介入してくる長雷は以前から書きたかったんです、ようやく話の筋が降臨して来ました。
雷蔵のヤキモチ話な所為か、あんまり長雷絡んでないのが…未熟な証拠…










おまけ
彼を、じっと見ていて、気づいた事がある
「……」
ふと、視線を書類から離してどこかほかのところを見る。
「……」
そしてまた戻す、それを何度か繰り返す。
「……」
何度目かの時、何を見ていたか気になったので一緒に視線を変えてみる。
「――…」
先ほど、案内をしてくださった方を、じっと見ていた。



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