秋も深まり、冬のにおいがかすかに感じられる、そんな風を受けながら雷蔵は図書室の戸をそっと引く。
室内には壁や棚の少し高い所に設置された明かりが点在しうっすらと明るい、流石に利用者は夜の自主トレや宿題やらに追われ誰もいなかった、いつも夜の図書室は昼間よりもさらに静かで耳が痛いほどだ。
目の前のカウンターにはまるで主のように堂々と座り、手元にある明かりを頼りに本を読んでいる図書委員長がいた。
開いている本はおそらく授業に必要なのだろう、雷蔵にはわからない専門書のようだ。
(たった一年でこんなに解らないんだもんなぁ)
果たして一年後の今日、自分はこの人が今開いている本を読んでいるのだろうかとふと思ったが、想像は出来なかった。
「戻りました」
そう言いながら彼の隣に座った。





【私は求める】





長次は一旦手を止めるが本は開いたまま視線だけを雷蔵へ向けた、その意図が何であるか気づいた雷蔵はすぐにうなづいて答える。
「ちゃんと怪士丸は長屋に戻らせました」
本当は怪士丸も今日の当番の一人だったが夕方頃から風邪の初期症状が出始め、この頃は夜になって急激に冷え込んできた事もあり念のため長屋へ戻らせたのだ。
今頃は雷蔵と入れ違いでやってきた新野先生に処方してもらった薬で休んでいるに違いない。
長次が納得し、うなづくのを確認した雷蔵は先ほどまでの作業を再開させる、貸し出し名でいっぱいになったカードを新しい物と取り替えると言う先ほどまで怪士丸がやっていた簡単な作業だ。

しかし今夜のように良く冷えた夜は手の先を使った作業を滞らせる。半年以上無縁だった、手がかじかむ感覚が次第に雷蔵の指先を侵食して行った。
著者名や書名を書く合間にこぶしを握っては手のひらで暖を取り作業をしていたが、いよいよこらえ切れなくなりハァと自分の呼気を手に吹きかける、すると息は白く色を染めて雷蔵の手にたどり着いた。
雷蔵があ、と白い息に気づいた瞬間、隣からの視線を感じてふと振り返る。
「どうりで寒いはずですね、息が真っ白です」
「…冷えるか?」
長次は先ほどからのかじかんだ手を温める仕草に気づいていたらしい、雷蔵は気を遣わせまいと首を横に振って否定した。
「大丈夫です」
本当はかじかんだ所為で若干動かしづらいのだが、それを知られてしまえば雷蔵も怪士丸と同じく長屋へ戻されてしまうかもしれないのだ、目上の、しかも委員会で一番偉い委員長である長次に仕事を全て押し付けるなどできるはずもない。

雷蔵がそのまま強引に自分の作業に戻ったので長次は何も言えないまま納得のいかない表情を解りにくいながらも浮かべていたが、ふいに立ち上がりカウンターの裏にある作業場へ姿を消す、雷蔵は目の端でそれを追いながらも仕事を続けた。
破損した本やそれを直す材料や道具の散乱する狭い作業場、長次がいつも陣取る定位置の脇に丸めてある布を見つける。
先日、長時間作業する際に仮眠用にと持ち込んだ長次の私物の毛布だ、その時は結局使わなかったがこれから寒い季節になるからとそのまま置きっぱなしにしていたのを思い出したのだ。
それを持ち出して再びカウンターに戻ると隣に座りまだ黙々と作業を続けている雷蔵の背にふわりとかけて何も言わず元の場所に座りこんだ。

雷蔵はきょとんと自分の背にかかった毛布と長次とを交互に見つめる、これは間違いなく寒い素振りを見せた雷蔵への配慮だ、気を使わせてしまった事とそのまま使ってもいいのかと言う躊躇い、長次は寒くないのかと言う配慮がぐるぐると思考を支配する。
「…ありがとうございます」
行動を起こしても何も言わず長次が黙っていると言う事はそのまま毛布は雷蔵が使ってもいいと言うことだ、戸惑いながらも礼を述べるといつものようにうなづく、まるでこちらを見透かし自分は大丈夫だと言われたような気がした雷蔵は手を止めていた作業を再開する、もう少しで全て書き終わる。
長次もそんな雷蔵の様子を見て満足気な様子で本のページをぱらりと捲る。
二人が集中し何度目かの静まり返った室内はその静けさから寒さが増すようだった、雷蔵は体こそ毛布のおかげで先ほどより寒くはなかったが、それでも吸い込む息が氷のように冷たく、温まりきれない冷えた手先の動きがさらに鈍くなる。


「もうそろそろ雪の季節ですね」
おそらく寒さから連想したのだろう、雪の話題に長次は顔を上げて雷蔵へ振り向く、すでに別の仕事を始めていた雷蔵は先ほどより顔を赤くしてうなづく長次を見ていた、彼の頬は温かくて赤いのか、それとも冷えたままで赤いのか、長次には判断出来なかった。
「これだけ寒いなら今年は初雪が早そうですね」
「……」
いつものように雷蔵が話題を振り、長次がそれに対してうなづいて返事をする、委員会や勉強に関して必要とあらばしゃべるがこういった日常の雑談に対して長次は滅多にしゃべる事はない。
雑談に対する自分の意志など重要ではないと思っているのだろう、最初こそその反応にただ不安や不満を抱いていた雷蔵だったが、最近は長次の細かい意向を知ることが出来ず寂しいと思うようになっていた。

ふと雷蔵は長次の手元に視線を移すと、本を持っている彼の手もかじかんでいるのかうっすらと赤い、寒いのは自分だけではないのだと当たり前の事にようやく気がついた。
(先輩だって寒いんじゃないか)
毛布をかけてくれたとき、長次が平気を装っていたのは雷蔵がそのちょっと前に「大丈夫です」と言ったのと同じ事なのだ。
かといって今更毛布を付き返すのも悪い気がして躊躇ってしまう。
「――丁度…」
「え?」
雑談に滅多に言葉を発さない筈の長次が珍しく口を開く、雷蔵は一瞬寒さから来る幻聴かと聞き違えて目を丸くして首をかしげた。
ぼそぼそとした静けさを煽る長次の声は低く図書室内に響く。
「こんな寒い日の夜に生まれたと…教えられた」
私語での珍しい長次の返事に雷蔵は一言一句聞き漏らすまいと作業中であった手すら動かすことを止めて集中し、おかげでその言葉への反応が若干遅れてしまった。

「…っと…今くらいの、時期ですか?」
これではただの鸚鵡返しだと言いながら気づくがすでに遅く、雷蔵の言葉は長次の耳に届いてしまっている。その証拠に長次はこくりとうなづき、白い息が彼の口からも漏れた。


十五年前のこの位の時期、彼は生まれたのだ、そう思うと急に寒さなど吹き飛び嬉しさがこみ上げてくる、何かこの嬉しさを今すぐ伝える術はないだろうか、雷蔵はこみ上げていた嬉しさに比例する笑顔を隠すように自分の手元へ視線を移す、そこには見慣れた無駄に細長い手が筆を持ち、机に手のひらを合わせていた。
「中在家先輩、手を貸してください」
雷蔵の言葉に何の疑いもなく長次は本を閉じて左手を差し出す、それを右手でつかんだ雷蔵は左手を伸ばし長次の右手を求める。
「?」
ようやく不思議に思いながらも求められるがままに長次は右手も差し出す、彼の両の手を合わせた雷蔵はその上から今度は自らの両手で包み込む。
長次の方がずっとゴツゴツした節の目立つ手だが、大きさはさほど変わらないので全ては無理でも大半は雷蔵の手でも覆うことが出来た。

すぐに伝わった温度は自分と同じかそれ以上に冷たく、そんな長次の手先に驚いていたが構わずにぎゅっと握り締める、雷蔵はその手を長次に見せるように顔の辺りまで持ち上げて嬉しそうににこりと笑った。
「ささやかですけど…先輩が生まれてきたお祝いに」
「――…」
冷たい手が包み込んでいる筈だというのに微かに伝わるぬくもりはかじかんでいた手の強張りを優しく解していく。
「咄嗟の思いつきなので申し訳ないんですけれど…」
長次は雷蔵の言葉に首を横に振って否定しながらようやく自分の手が凍えていた事を自覚した、どんな素朴な方法でも自分が生まれた事を祝おうと思いついてくれたその考えが素直に嬉しいと感じた。

お互いに両手越しに相手の目へ視線を移し雷蔵はそこでまた笑いを浮かべる、長次も表情は相変わらず無表情だがその笑顔を見てふぅと息を吐いて肩の力を抜いた。
「大切にする」
包まれていた手を解くと、言葉の意味を理解しているのかしていないのか、不可解な単語を発して慌てふためく雷蔵を抱き寄せて包み込む。


冷たい手先を同じくらい冷たい手で包まれていた時より何倍も暖かいと思いながら、嬉しさだけが半減したのに、気がついた。












一言
大変短いのですが蠍座月間につき長次お誕生日ネタです;;暖かさがプレゼント。って言わなきゃ解らない私の文章能力…
長雷って雷蔵から行動を起こすと言うのが少ない気がします、その分その行動が貴重だとも思います。

タイトルは…えー…蠍座のキーワード「私は欲求する」からなんですが…フツーに長次だし。






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