【きっかけは虫かご】





放課後はいつもペットたちに餌を上げたり種類によっては洗ってあげたり…少しでも長く生きてくれるため尽くす時間だ。
誰かと遊ぶなんておろか勉強なんてさらに馬鹿らしい。そんなもの授業をちゃんと聞きさえすれば身につく事なのだから、下手に繰り返して変な癖がついては無意味だ。
だからこうして好きな事にいそしんでいるのが一番と思っている。
もちろんそれを他者に押し付ける事はしない、自分の楽しみが減るからだ。
遊ぶのが好きであれば、勉強するのが好きであれば勝手にそれをしていればいい。
ただしそれらは全て自分には関係ない――

「おぉい、竹谷!竹谷八左ヱ門!」
誰かがこちらに向かって声を張り上げ先輩の名前を呼んでいる、竹谷先輩ははっとして立ち上がるのが偶々視界に映り、そのまま先輩の動きを目で追う。
声の主は苔色の制服を着ているから六年生だ、顔もよく見える位置だがそもそも六年生とはあまり接点がないので――生物委員会に委員長が不在と言う所為もある――見えたって誰だか解らない。そもそも髪が黒くて短い人なんてたくさんいる。
竹谷先輩がその先輩と話し始めたのを見るのをきっかけに視線を元に戻し再び餌作りを再開する、小さかったり生まれたばかりの虫も少なくないのでそう言うペット用に生物委員会で作っているのだ。と言ってもその虫が好む草などをすりつぶしただけだが、この調合が結構手間だったりする。もしこれが巧くいって虫達がこぞって食べてくれた時は正直とても嬉しい。
「おお、孫兵出来たか?」
どうやら先の先輩と話し終わったらしく竹谷先輩がこちらに戻ってきた。
「はい」
後は分量を量って捏ね合わせて完成だ。
竹谷先輩はそうかと答えるとペット小屋の方へ行ってしまった。片手には虫かごが三つ、いつの間に持っていたのだろう?
すぐに小屋から先輩の虫達へ話しかける声が朗らかに聞こえてくる、片手の虫かごからおそらく引っ越しをしているのだろうと思いこちらの作業をまた再開させる、どうも今日は手が止まってしまう。
なぜ手が止まってしまうのか、好きな事なのに、とやや憤慨して顔をしかめていると竹谷先輩が戻ってきた。
「悪い悪い」
「…虫かご、どうかしたんですか?」
悪びれもしない謝罪はいつもの事で、先輩の豪胆さから来るものだから割り切っている。
それを軽く受け流して質問すると先輩は信じられないという顔でこちらを見た、あまりにも予想外の反応に一瞬たじろぐ。
「…お前…」
「なっ、なんですか…」
言葉に詰まっている先輩が何を言いたいのか、正直とても気になる、いや気になってしまった。
竹谷先輩ははぁと呆れたため息をついたので少しだけむっとして先輩の答えを待つ。
「この前、お前の毒蛾三匹とカメムシ十一匹と毒蛇二種計三匹と毒毛虫五匹が逃げただろう?」
三日前のお散歩の事だ。やはり学園中大騒ぎになり躍起になって探した結果カメムシが保健委員によって全滅するも他は無事に保護できた。特にあの時毒蛇は出産間近だったものだから随分心配したのだ。
「ありましたね」
「で、その時原因は虫かごの老朽化、それが逃げた蛇の内一匹によって破壊され残りの毒蛾をはじめとする合計十七匹が逃げていたわけだ」
捕獲直後に行った現場検証で竹谷先輩が導いた結論だ、決め手は籠の柵が全て低い位置で折られている事で、蛇が這いずってその圧力でへし折れたのだろうと言う予測だ。
「虫かごは使い物にならない、どうすればいい?」
「えと…直す…?」
「その通り!どうせお前の事だから虫達が無事な事で頭がいっぱいで虫かごを直すことまで考えなかったんだろ?」
図星を刺されて文句が言えなくなる、確かに言われた通り虫達の事ばかりで後始末を考えていなかった、正直に言えば興味すらなかった。
そうか、直して上げなきゃ虫達はどこで暮らせば良いのか…!次からはきちんと考えよう。
「つまり、用具委員に直してもらったんだ」
「ヨーグ…イイン…?」
聞いた事ある響きだが自分でその音を口にしたのは初めてだ。
「…おい?まさか用具委員、知らないなんて事は…」
竹谷先輩の声が心なしか震えている気がするのは気のせいだろうか。
「どんな委員会なんですか?」
「……」
竹谷先輩は額に手を当ててうつむいたまま何も言わなくなってしまった。


要するに、用具委員会とは学園で必要な用具、実技で使う武器なども含めた物を管理するほか、壊れたものを直したりしてくれる委員会だそうだ。
生物とはなんら関係のない委員会だから今まで名前は知っていてもどんな委員会だかさっぱり解らなかった。同様に作法や体育なんかも良く解らない。
竹谷先輩がなぜか半泣きしながらしてくれた説明によると、壊れた虫かごは自分達でも修復が不可能な壊れ方をしていたらしく、修理に手慣れた用具委員会に修理を依頼したのだと言う。
ちなみに修復は僕の目から見ても完璧で竹谷先輩はこれからも修復は用具に任せようかと呟いていた。

――のが先日の事。
あの時先輩から聞いた用具委員の活動場所である用具倉庫の前で思わず溜め息が出る。
僕の手には壊れた虫かごが二つ。小屋に置いてある空のかごを整理しようとしてうっかり壊してしまったのだ。また逃げてしまうなんて事態にならなくて安心はしたけれど柵の一面が全て折れて僕ではとても直せそうにない、竹谷先輩は今日に限って実習で不在だ。
ふと視界に入ったのは修理されて間もない虫かご、中では毒蛾が三匹仲良くひらひらと飛んでいて用具委員を思いだした。
「…すみません」
倉庫の大きな扉は開け放たれて中を覗きこみ声をかけるが空しく反芻するだけで返事はない、もしかして開けっ放しでどこかに行ってしまったのだろうかと辺りを見回すが誰もいない。
冷静になって考えれば急な用件ではないのだし、後日改めて、竹谷先輩でも直せない事を確認してから出直してもいいかと来た道を戻りはじめる。そう言えば今日は毒アリを散歩させていない。
「おおい!呼んだのは君かー?!」
上から声がした。驚いて見上げると苔色の制服を着た人が用具倉庫の屋根の上にいた。逆光で顔がよく見えないが、あの時竹谷先輩を呼んだものと同じ声だった、同一人物、つまり用具委員だ。
「はい!」
向こうに聞こえるように思わず大声で返事をしてしまう、虫とは無関係な事にこんな大声を出すなんて久しぶり…あるいは初めてなんじゃないだろうか?記憶は曖昧だ。
「そーか!ちょっと待ってろー」
そう言うと高い屋根からひらりと飛び降りて何事もなかったかのようにさっさとこちらへ近づいてくる。
「お、お前は毒虫野郎で有名な伊賀崎か!どうした?」
影で言われているあだ名をあっけらかんと本人の目の前で言う、そのあだ名を知らなかったわけじゃないけれど面と向かって言われたい事でもない、そもそもそれは陰口であって本人の前で言う言葉ではないのになんて失礼な人なんだ。
「…虫かごが、壊れてしまって…直してもらおうと思いました」
二つ、そういって差し出すとその先輩はどれ、と手に取りじっと見定める、それまでの雰囲気とはがらりと変わり至って真面目だ。
「…ふむ…これならすぐ直せるぞちょっと待ってろ」
「ええ…!」
柵が全て折れているのに、と続けようとするも六年生はすたすたと用具倉庫へ戻って行く、一人中途半端に残され、そのままペット小屋へ戻るのも気持ち悪いので後について用具倉庫の中に入る。
正確には入口に入ってすぐの所で、どうやらそこに帳簿やら修理道具やらが置いているらしい、そのなかを漁ってばらり、と柵そっくりの物を取り出す。
躊躇いなく壊れた虫かごを更に分解し始め六年生は修理を始めた、どうしたらよいか解らないまま僕はただじっと立ってそれを見ていたがふいに先輩が顔を上げた。
「まぁ座れ」
「あ…はい」
この人の真正面に正座して手つき手際を目で追いかける、それはよどみない流れでまるで職人そのものだ。
「――この前も、直しただろう?カゴ」
「はい、ありがとうございます」
「いや、そうじゃなくてな、その時にもし今後も同じような壊れ方したらすぐに直せるように、って柵だけは作りおきしていたんだよ」
早速役に立ったな、と笑いながらも手を止めない。僕はこの人の手を見れば良いのか、顔を見れば良いのか、解らない。ああ、毒アリの散歩…
作りおきと言った柵は長さが全てばらばらで、六年生はそれを何本かまとめて手にとっては長さを切りそろえている。
「なんで…わざわざ作りおきを?」
「だって困るだろう?」とさも当たり前のように答えてその先輩は続ける。
「これを直して欲しいって事は必要なものだ、これがないとお前が困るならすぐに直せるようにしておきたいからな」
それはまるで僕が虫達に注ぐ愛情のようで、
確かにこれは元々空だがもし虫が入った籠であればそう言った対処をすぐにしてくれたらとても助かる。
けれど今みたいに何かを中断させては向こうに悪い、先輩であると言うのもあるし、僕がもしこんな風に自分のしている作業の中断を余儀なくされたら許せないからだ、きっとこの人だって中断されて内心嫌なはずだ。
「ありがとうございます…」
素直に感謝の気持ちで返事をすれば向こうは気を良くしたらしい、穏やかな表情を浮かべると視線をカゴへ移し長さをそろえた柵を綺麗に底板にあるそれ用の穴へはめ込んでいく。
「それに、こうしてなんか直してるのって結構好きなんだよ」
そう言ってへらりと笑う。この人にとって修繕は好きな事なのかと考えをあっさり覆されてしまった、中断されても好きなことなのだから少なくとも嫌な訳ではない、僕だって中断されるのは嫌だがそれが虫達のためならば嫌だとは思わないし…

遊ぶのが好きであれば、勉強するのが好きであれば勝手にそれをしていればいい。
ただしそれらは全て自分には関係ない――

ただ解るのはいままでそう思っていたはずだったのに、この人が、こうして好きな事をしているのだけは、どうしても無関係ではいられないような放って置けない何かを感じた。
「ほら、もう直った」
差し出してくれたカゴは二つとも柵が元通りですぐにでも使えそうな出来だ。確か僕のペットとは別に委員会で飼育している小鳥のカゴが古くなってきたから取り替えてもいいかもしれない。
「今度は逃げられないようにな?用具委員長自らの手で直したのだから、それらは丈夫だぞ、太鼓判だ!」
ぽんぽんと頭を撫でるその手はさきほどまでカゴを直していたその手で――
「もしまた壊れたらすぐ来るといい、丈夫に直してやるからな」

どうしてそこまで尽くしてくれるのだろう?僕には出来ない。
きちんと会話したのは初めてじゃないか。僕には出来ない。
そもそも僕はあなたの名前すら知らない―― 

「…ありがとうございますっ!」

そうか、この人はそう言う人なのだ。
結論に至って足早にその場を去る。



この人は、僕と正反対の人なんだ――



それまで無関係であろうとしていた対極にあるその暖かさに、気づいてしまった。









一言
鉄は熱いうちに打て、と申しますが、ネタは熱いうちに打て、とは本当のことですね。
朔神の基本は食満→孫が好きなのですが、実際書くとなると食満←孫の方が書きやすいかもしれない罠。なんてこった。





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