朝は、いつでもやってくる。人の心の葛藤になどお構いなしだ。
 きらめく朝日を見つめつつ、デュランはカーテンをぎゅっと握った。さらに、低くつぶやく。
「ちくしょう、何でこんなにいい朝なんだよ」




 「おはようと、この耳に囁いて」




 仏頂面のままで、デュランは部屋から出た。腕の中には、石鹸や歯磨き粉、タオルや歯ブラシがある。洗面台に行って、顔でも洗い、気分をすっきりとさせたかった。そうでもしないと、とてもじゃないがやってられない。長い廊下には、やっと日の光が入り始めていた。
 デュランはただ、無言でその廊下を歩き始めた。
 しばらく歩いて、立ち止まる。そして、歯を食いしばった。そうしなければ、この場で叫んでしまいそうだった。
(ちくしょう!)
デュランは心の中で叫んだ。
 ―――それは、取引だった。一緒に旅をしてきたフェアリーの命と、世界の命運を握る聖剣とを交換条件にした、悪質な取引だった。
 そして、デュランたちはその要求を飲んだ。世界と仲間を天秤にかけなくてはならないという、理不尽な選択を強いられたのだ。
 言い訳などしたくない。それが自分たちにできる精一杯の選択でしかなかった。第三の道は、そこになかった。
(――――ちくしょう!!)
それでも、割り切れない思い。自分に対してのはがゆさだけが心の中に横たわっていた。
 この思いを消化する術は、一つしかない。
(闘ってやる!)
弱い自分とも、これから立ち向かってくるであろう敵とも。その方法しか、いまは思いつかなかった。
 








 洗面台に行くと、そこにはホークアイがいた。彼にしては珍しく、機嫌が悪そうだった。デュランに気づいたホークアイがむすっとしたまま、
「よお、おにーさん。眉間にしわが寄ってるぜ。近い将来、ホントのしわになるぞ」
という。完璧に強がりだった。その証拠に、目の下にはくまができている。昨晩はあまり眠れなかったらしい。
「悪かったな」
デュランも同じく憮然とした表情で返した。二人は横に並ぶ形で洗面台に立つ。目の前には、二人の仏頂面を映す鏡がある。
「――――くやしいな」
とホークアイがつぶやく。それが彼の中にある気持ちだろう。鏡の中に映る彼の表情は沈んでいる。
「そうだな」
デュランは他に返すことばを思いつかなかった。
 二人は黙ったまま、各々、顔を洗ったり、歯を磨いた。かなりの長い間の後、
「――――ぐだぐだいってられねぇぞ。オレたちは、闘うしかねぇんだ」
顔をタオルで拭きながら、デュラン。
「わかってるよ」
歯を磨き終えたホークアイが短く答える。鏡に映った彼の瞳には、強い決意を秘めた光があった。これなら、ホークアイはもう大丈夫だろう。
 そして、デュランの予想は当たった。ホークアイが急におどけた表情になり、デュランに向き直った。これこそがいつものホークアイである。
「……それでさ、おにーさん。俺たちが直面してる問題としてだな。この他に、もう一つあるんだよ」
「何だよ?」
ホークアイのいう問題がわからず、デュランは眉をひそめた。ホークアイが肩をすくめる。
「我らがリース嬢を起こさにゃならんのだわ、これが」
デュランはそこで気がついた。いつもなら、二人よりも早く起きてくるはずのリースを見かけていない。昨日のことがよほど堪えているのだろうか。
「いっつも起こされる側だから何だけど、起こしに行くのって相当恥ずかしいような、嬉しいような……」
などと、ホークアイが奇妙なことをいい出した。寝不足がたたって、テンションが上がっているらしい。―――いや、テンションが高いのはいつものことか。
「………別に、ドアを叩くか、部屋に入って起こしゃいいだろうが」
そういうと、ホークアイが未知の生物でも見るような顔で、デュランを見た。
「んだよ、その顔はよ!」
デュランのことばに構わずに、ホークアイが大げさに首を左右に振る。
「………俺にはできない!そんな無防備に寝てる女の子の寝室に入り込んで布団を引っぺがすなんてアグレッシブかつ倫理に反した行為なんて、俺にはできない!!――――キミにはそれができるっていうのっ!?」
と一気にまくしたてた。
「バッカヤロウッ!!寝ぼけてんじゃねぇぞ!……大体、話に尾ビレ背ビレがついてねぇか?誰も布団引っぺがすなんていってねぇだろうが!勝手に付け加えるな!!」
「またまたぁ、そこでいい子ぶっちゃって〜」
と急に表情をおどけたものに変えて、ヒラヒラと右手を振っている。
「しまいにゃブッ飛ばすぞ、てめぇ」
デュランが低くいうと、ついに彼は両手を頭上に掲げ、降参のポーズをとった。
「まあ、ふざけてる場合じゃないな。とりあえずリースを起こさないと」
「ドアを叩いて起こすからな」
とデュランはすかさず付け足した。
「そこで起きなかったら?」
「もっと叩く」
「――――やだなぁ。その場合はそっと部屋に忍び込んで、そっと耳元で囁くんだよ。『おはよう、もう朝だよ。起きておくれ、マイスイートハニー』と」

 一瞬、二人が無言のままに目を合わせる。

 次の瞬間、デュランのハイキックがホークアイの左頬に炸裂したのは、いうまでもないことだった。どさっと重い音をたてて、ホークアイが床に倒れ込む。彼は蹴られた左頬に手を当てて、ヨロヨロと上半身を起こした。
「ちょっ、ちょっと野郎のファンタジーをいったら、これだもんなぁ……」
「なぁにが野郎のファンタジーだ、このバカ!………いまのはオレだったからこんなもんだけどな、リースにこれをいってみろ。てめぇは五体満足じゃねぇからな」
あいつに冗談が通じないのはわかってんだろう、と付け加えると、ホークアイが苦笑しつつ、立ち上がった。
「……こういうときってさ、明るくするのが一番だろう?」
珍しく、ホークアイが本音を出した。デュランは苦笑する。
「時と場合を考えろよ。……お前じゃ不安だから、オレが行く」
そういうと、デュランは足早にその場から離れた。タオルは、まだ手の中にある。
「……ドアを叩いてもリースが起きなかったら、さっきのをいえよー」
というホークアイの声が聞えたので、無言でタオルを投げつけた。









 デュランはコンコン、と軽くドアをノックする。
「おーい、リース。起きろよー」
と呼びかけてみる。しかし、答えはない。
 今度はもう少し、強くドアを叩いてみる。―――返答は、なし。
 ふいに頭をよぎるのは、ホークアイのあのことば。それがしつこいぐらいに頭の中を巡っている。ぐるぐる、ぐるぐると――――。
(――――って、いえるかっ!!)
と心の中で絶叫しつつ、すうっと息を吸う。
 そして、力一杯叫んだ。
「起きんかいっ!!!!」
デュランの絶叫に、
「―――はいっ!」
という声が続いた。さらにバタバタと、室内を走る音。次いで、ドアが開く。
「……おはようございます」
目をこすりながら、リースがいう。彼女はすぐさま、真剣な表情をした。
「何かあったんですか?そんなに叫ぶなんて」
そのことばを聞いた瞬間、デュランは何をいっていいのかわからなくなった。まさか、八つ当たり同然に叫びましたとはいえず、
「い、いや、その………。起きてこねぇから、心配で………」
といった。
 リースが目を見開く。
(あ、あれ?)
もしかしたらいま、「八つ当たり同然に叫びました」ということばよりも、自分的にはまずいことをいった気がする。顔が赤くなるのを自覚した。
「いっ……いや、だから、その……」
ましなことをいおうとすればするほど、それは空回りしていく。どうしてこういうとき、気の利いたことばが出てこないんだろう。
(オレの阿呆っ―――!)
一体、自分は何をやっているのだろうと、頭を抱えたくなった。
 自己嫌悪に陥っていると、リースがふっと、目尻を緩ませた。
「ありがとうございます。――――でも、そんなに落ち込んでるように見えましたか?」
「……いや、まあ。……皆落ち込んでるからな」
というと、彼女は弱々しく微笑む。
「……そう、ですね」
 その笑みを別の笑顔に変えてほしくて、デュランは慌ててことばを捜した。しかし―――。
「――――闘っていくしかねぇんだよ」
デュランには、そのことばしか思い浮かばなかった。
 いまはただ、闘っていくしかないのだ。それがあの取引の対価だったのだから。
「上手くいえねぇけど―――」
「上手くいわなくても、いいんですよ。十分伝わりましたから」
とリースが微笑む。あんな不器用なことばでも、リースを元気づける力はあったようだ。
「そうか?――――そりゃよかった!」
とデュランもはにかみながら笑ってみせた。








 「じゃあ、まずは顔を洗わないと……」
とリースが洗面道具を取りに、室内に戻る。
 デュランは安堵しつつ、その後姿を見た。
「――――おいーっす」
とふいに背後から声がする。デュランはビクッと全身を硬直させた。振り返ると、そこにはホークアイがいる。
「……上手くいったのか?つーか、例のせりふはいったか?」
「オレは――――」
そんなことはいっていないと真実を語ろうとすると、ちょうど洗面道具を持って出てきたリースが、
「おはようございます!」
と微笑みながらホークアイに話しかける。声がずいぶんと弾んでいる。
「おっはよう、リース」
笑顔でホークアイ。しかし次の瞬間、意外そうな表情をした。何でこんなに嬉しそうなのか、不思議になったらしい。
「元気そうで何よりだよ。――――デュランが何かいったのか?」
という。間違いなく、かまをかけている。きっとホークアイの頭の中では、デュランが例のことばを口にしたのか、否かを知りたいと思う気持ちしかないのだろう。
 冷静に考えれば、デュランがいうはずもないということに気づくはずだが、いまの彼では気づけないだろう。何しろ彼は寝不足なのだ。
 人は寝不足になると、極端に思考能力及び、判断能力が低下する。思考の視野までもが狭くなるのである。したがって、ことばの聞き違いや勘違いも多くなるものだ。
 ―――何故だろう。いやな予感がする。
 そして、その予感は的中した。リースの口からは、
「―――はい!おかげで元気が出ました」
という答えが出てきた。しかも、これでもかというくらいに可愛らしく、そしてはみかみながらの笑顔の、おまけつき。
(――――こ、ことばが足りてねぇっ!!)
デュランは心の中で絶叫するしかない。
 恐る恐るホークアイを見てみると、案の定。彼はあごが外れそうなくらい、口を大きく開けている。ホークアイは絶対に勘違いしているだろう。デュランが「おはよう、もう朝だよ。起きておくれ、マイスイートハニー」といったのだと。それで、リースが元気づけられたのだと。
 二人の心情には気づくはずもないリースは、そのまま洗面台へと歩いていく。ホークアイが大口を開けたままリースを見送り、そして、素早くこちらに振り向く。さらにじりじりと、デュランとの距離を縮めていく。
「……すみませんがね、色男さん。事情をくわーしく教えていただけませんかね。……………っていうか、いえ。―――つーか、むしろ吐けっ!!」
ついにはガシッとデュランの両肩をつかみつつ、ホークアイが叫んだ。冗談のつもりでいったことが現実になったのだから―――これはあくまでホークアイの主観で、事実と異なっているのだが―――、慌てもするだろう。
(―――やっぱりこいつ、誤解してやがる!)
この勢いだと、デュランが何をいっても信用してくれないかもしれない。これからどう誤解を解けばいいのかと考えると、頭痛がした。



 ――――その予想通り、ホークアイが事情をしっかりと理解したのは、それから一刻が経ってからのことだった。




(おしまい)








                     あとがき

 サブタイトルは「ホークアイ大暴走の巻」。ことばの行き違いを、今度はギャグ仕立てにしております。
 栞さん、楽しんでいただけたら幸いです(礼)。
 






栞語録
野木しげるさんよりキリリクでいただいた『コミカルなデュラリー』小説です。
嬉しさのあまり持ち帰って来てしまいました。何気にはじめて頂いたデュラリー小説ですvv初めて読んだ時はかなり笑わせていただきました。
野木さん小説ありがとうございました!






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