雨上がりに映るそら 1


『委員会対抗障害物競走』
 ──を言い渡されたのは、低学年はもうとっくに眠っていて、中学年は寝入り端、高学年はそろそろ自主トレに区切りをつけようかと考え出す──そんな時刻のことであった。
 発端はどうやら、夜、学園長が灯りも持たずにお手水へ向かったところ、廊下にそれはもう様々な物が散乱していて、大層な目に遭ったことから思いついてしまったらしい(その惨事の最大の原因は、夜の見回りの途中やはり色々仕出かした、言わずもがなの事務員さんらしいのだが)。

 まず各委員長が呼び出された。「委員会対抗障害物競走を行う」という第一声の後にくじを引かされ、引いた番号に応じた地図と紙切れを一枚渡されると、「明日の朝、鳴らす鐘で一斉スタート」と告げられた。
 どんなものにでも語尾に「競争」や「大会」を付けられてしまえば盛り上がらざるを得ないのがこの学園である。更にタチが悪いことに、各委員長は学園長のこの手の思いつきに対して、6年もの月日をかけてすっかり耐性が出来上がっており、自らの中での昇華が早かった。
 加えてそれぞれへの対抗心もあったりなかったりして──早速、各委員に集合をかけた。

 いつもより風が強い今日この深夜に、図書委員会が自分たちのテリトリーとも言うべき図書室に集まっているのは、──そんなわけだ。
 最も、図書委員長・中在家長次はこの手の対抗心や競争心といったものに丸っきり興味を抱くことのない人間である。それでも集合をかけたのは、開催される以上、全生徒強制参加のため「仕方がない」の一言に尽きた。
 低学年の3人は夜着のままで現れた。特にきり丸は銭にも得にもならない学園長の思いつきに渋面を隠さない。怪士丸と久作は“諦め”という割り切り方で、自らに折り合いをつけたらしい。
 高学年の雷蔵と長次は制服姿だった。長次の制服はあちこちが汚れたままで、自主トレの最中だったことが伺える。一体どこからどうやって呼び戻されたのかは謎だ。雷蔵は頭巾を外し、手拭いを首にかけている。自主トレを終え、井戸で汚れを落とした矢先だったのだろう。

 暗い室内に燈台を用意し、5人は床に車座になって座った。真ん中には、委員長が持ってきたくじの結果──学園を中心としたかなり広範囲な地図と、色々な漢字が書かれた紙が置かれ、長次自ら必要最小限且つ最低音量でここまでの経緯を語る。
 曰く──
「…学園長…」
「朝…委員会対抗障害物競争…」
 であった。長次の言葉を漏らすことなく聞き取る技術は、図書委員となった者がもれなく習得せねばならない必須技能である。
 委員会ごとの集合がかかった時点で「学園長絡みらしい」との噂付きだったので、改めて驚くことはない。ただ、がくっと項垂れて逃れられない諦めの境地に陥るだけだ。
 ──だがその境地は、行き着くところまで行き着いてしまえば前を向くしかなくなる。それなりの時間が過ぎてしまうと、低学年の3人も気持ちの切り替えが済んだのか、乗り出すようにして地図と紙に見入った。
「…これ、もしかして暗号になっているんですか?」
 紙に書かれた、明らかに意味の通じない文字の羅列を見て久作が訊ねると、長次はこっくりと頷いた。そして、
「『3人で解け』って」
 雷蔵が、ちろ…と小さく自らに向けられた視線の意味を汲み取って、長次の同時通訳を始めた──他委員会所属の人間からは大層怪訝な目で見られるが、図書委員会では珍しくも何ともない光景のため、彼らは違和感すら感じなくなってしまった──それは人としてどうなのか。
 ともかく、言われた内容はとんでもなかった。
「「「えええっ?!」」」
 久作・怪士丸・きり丸の声が見事に重なる。
「『早朝一斉スタートだから、それまでに』」
 更に追い討ちをかけられる。
「そ、そんなあ」
「だって先輩たちならすぐ解けちゃうでしょ?!」
 怪士丸の切なげな声に被った、きり丸の最もな主張は、
「『幸い図書室にはヒントになる本も多いし、思う存分悩めるだろう』」
 綺麗に無視された。
「…雷蔵せんぱーい…」
 だがそのくらいではめげない。きり丸は、今度は低学年に優しいと評判の──事実今までに何度も頼ったことのある──人の好い5年生に縋るような上目遣いを送るが。
「うん、頑張ってね」
 意外とドライな面を持ち合わせているらしい雷蔵は、こちらもあっさりと期待を封じ、にっこりと優しく微笑むのだった。

 長次と雷蔵はいつの間にか、3人から少し離れた場所にもう一つ燈台を用意していた。そこで、図書室でそれぞれがキープしている読みかけの室外持出禁止本を開いている。
 恐らく上級生には簡単に解けてしまったからこそ、下級生には勉強になるだろうと考えて──ということを、決して理解できない3人ではないが。
「長屋に戻らないんなら解いてくれれば良いのにー…」
 上級生には簡単でも、1・2年生ではどれだけ時間を費やすことになるか。
 聞こえよがしなきり丸の一言には返る答えすらなく、またしても綺麗さっぱり無視された形だ。
「きり丸、頑張ろ」
 怪士丸が1年ろ組の生徒らしい、少々幸薄げな、けれど優しい笑顔できり丸を宥める。久作は既に席を立って、カウンターの道具箱から反故紙と筆、硯を用意していた。
「そうだぞ、こうなったらとっととやって終わらせよう」
 久作が戻って来て、2人に反故紙を渡す。この奇妙な漢字の羅列は、分解するにしろくっ付けるにしろ入れ替えるにしろ、とにかく思いつくことをやってみなくてはならないし、順序立てて解いていくためにもメモは基本である。
「…はぁーい」
 至極最もな久作の意見に、きり丸は渋々頷いた。


◇◇◇


 さて、責任重大な3人の解読風景はというと、
「まず忍者文字として考えた場合──」
「これとこれとこれを組み合わせるんですか? 無茶苦茶な字になりますよ?」
「…ちょっと見たことない字ですけど…」
「う…ん、まあ確かに…」
「あの、これとこれは…?」
「お、何か文字っぽい」
「でも残ったこっちはどうすんだ?」
「あ、そーか…」
 ──こんな具合だ。

 これといった閃きも、ストンと胸に落ちる手応えもないまま反故紙のほとんどが墨で黒く埋まってくると、さすがにうんざりしてくる。
 きり丸はちらり、と長次と雷蔵に視線を送る。そろそろヒントくらいくれないかなーと、淡い期待が含まれているのは否めない。
 2人はお互いが手にしている本にも興味があるのか、たまに覗き込んでみたり、雷蔵が判らない所を質問して長次がそれに答えると、納得がいったとばかりに大きく頷いたりと、年長者に対して適切な表現ではないかも知れないが──微笑ましい光景を繰り広げている。
「…時々中在家先輩って、普通に笑うよな」
 きり丸が、隣に座る怪士丸を肘で小突いて同意を求める。無論本人に聞かれてしまったら大変恐ろしいので、声は極力潜める。
 怪士丸は素直に「うん」と小さく頷いて同意し、更に続けた。
「雷蔵先輩も、時々いつもと違う笑顔するよね…」
「うんうん」
 ──そう、どちらもお互いが居るときだけに。
 長次は日頃無表情ゆえにギャップの大きい、下級生を怯えさせてしまう何かを企むような笑い方ではなく、とても穏やかに少しだけ口角を上げた微笑を。
 常から笑顔の多い雷蔵であるが、もっと初々しくはにかんだような、目撃してしまうとこちらが気恥ずかしくなるような笑みを。
 ただ慣れとは不思議なもので、最初こそそれらを目撃する度、怪訝に思ったり首を捻ったりしたものだが、最近では何だか、それを見ると得をしたような──秘密を1つ共有したような、勝手に頬が緩んで「へへ…」と得意気に笑ってしまいたいような──そんな奇妙な感覚を抱くのだ。
「…お前ら、度胸あるなー…」
 2人とは暗号の紙を挟んだ真向かいに座っている久作には、嫌でも聞こえる。
「だって先輩もそう思うでしょ?」
「そりゃまあ…」
 きり丸に同意しながらも久作は口篭る。だって判り易いから──なんて、やはりとても言葉には出来ない。

「もう出来た?」
((ひい…っ))
 いつの間にか、きり丸と怪士丸の背後に雷蔵が立っていた。2人は声にならない叫びを上げ、魂が抜けかける。
 久作から見えた雷蔵の笑顔は、ちょっと頬の辺りで引き攣っているから聞こえていたであろうことは確実だ。
「あ、あの…まだ、です」
 日頃穏やかでも、怒ると怖い(らしい)先輩である。久作も返す笑顔の裏では嫌な汗が、背筋をつぅ…と流れていた。
 しかし雷蔵はそれらについての言及はせずに、きり丸・怪士丸の頭上から、彼らの手元の紙を覗き込んだ。
「あ、ちょっと惜しい」
「「「え」」」
 行き詰っていた状況での雷蔵の一言に、3人がパッと顔を上げる。
「無理に1文字にしようとするから難しいんだよ、もっと単純に考えて良いよ」
「あ、はい」
 久作は頷きながら、もう一度神妙に暗号と向き合う。
「もっと単純ていうと…」
「このままで良い文字もあるって考えて良いのかな」
 3人が再び頭を突き合わせるのを見届けてから、雷蔵は元の場所に戻って腰を下ろした。
「…早かったですか?」
 問題に取り掛かる彼らには聞こえない程度の声で長次に訊ねる。小首を傾げ、意味ありげな笑みを浮かべる雷蔵は、長次に伺うというよりは心得ていると言うべきか。
「…いや、いい頃合いだ」
 長次は微かに口角を上げた。

 2人が本の続きをそれぞれ7頁ほど進め、雷蔵が長次に2度質問し、答えをもらった頃。
「「「先輩、出来ました!」」」
 喜色満面とは正にこのこと──という表情と声で、3人は長次と雷蔵の前に揃って立った。長次が顔を上げると、久作が答えを書いた紙を差し出した。
 それを長次が無言で受け取り、雷蔵が横から覗き込む。
 元々の作りが単純な暗号は、1つ答えが出れば連鎖的に解けるものだ。知った地名が出れば尚更だろう。
「…正解」
 長次が小さく答え、
「良かったね」
 雷蔵が3人に笑顔を向けた。
 久作ときり丸と怪士丸はそれぞれ顔を見合わせ、ほっとすると同時に笑った。日常、無関心を貫く先輩に褒められるのは──彼らにとって、ちょっとだけ別格なのだ。
「『今はこれで解散。出発までに各自考えて準備をしておくように。“障害物競走”だからな』」
 喜びの余韻を断ち切るように雷蔵が長次の言葉を同時通訳する。
 そう、暗号を解くのはあくまで「障害物」の予備段階。本番は夜明けからなのだ。
「障害物競走ってことは…」
「道中、色々あるってことかあ…」
 あっさり次の現実を突きつけられ、3人は本日何度目か、がっくりと項垂れた。


◇◇◇


 暗い中、怪士丸が持つ手燭の小さな灯りを頼りに、忍たま長屋へ戻る。
 1年生と2年生の長屋は棟続きのため、3人が行く方向は同じだ。まだどこかで先刻までの自分たちと同じ光景を繰り広げているのか、とっくに戻って就寝したのか、通り過ぎる長屋のどの部屋も静まり返っていた。
「きり丸、何持ってく?」
「うーん、適当に武器になる物用意しとけばいいんだろ?」
 握り飯は持たせてくれると思うし──と暢気に話していると、後ろを歩いていた久作が呆れたように声をかける。
「あのなあ、お前ら。もうちょっと考えろ」
「え?」
「まず、目的地があの距離なら、一日で帰って来られないだろ」
「「あ!」」
 弾かれたように声を上げた後輩を、久作はジトッ…と睨む。何で今まで気づかないんだ…とでも言いたげだ。
 2人は、あははは…と笑ってその視線を誤魔化す。
「あと、ウチ以外の委員長の性格も考えろ」
 正直こっちの予想が当たったときの方が怖い、と久作が続けた。
「委員長というと…」
 きり丸も怪士丸も、顎に人差し指を当てた同じポーズで思考を巡らせる。
 この手の「競争事」においてまず浮かぶといえば──『体育委員会こそ花形だ』と主張して譲らない体育委員長・七松小平太、『会計委員会以外はヘタレだ』と声高に叫ぶ会計委員長・潮江文次郎、そして日頃は温和(そう)なのに、会計委員長とはなぜかことごとく衝突する用具委員長・食満留三郎。
 今までに見たり聞いたり遭遇したあれこれを思い出せば、どう考えても──。
「「…委員会同士で潰し合い…」」
「可能性高いだろ」
 きり丸と怪士丸の表情は強張り、答える久作も引き攣っている。
 はあぁぁ…と揃って大きな溜め息が口から漏れた。

(((…でも)))
 と、3人はそれぞれに思う。
 確かにウチの委員長は喋らないし表情はないし何を考えているのか判らないし、こういった委員会対抗戦でも積極的になってくれない。下級生として、その辺りについて思うことは結構色々あったりするのも事実だが──どこぞの委員長のように無茶苦茶を言ったり実行させたりすることもなく、言っては悪いが不運でもない。緩衝材となって仲介してくれる人の好い先輩もいる。
 仕事は地味で、傷んだ書物の修繕作業は慣れるまで難しいが、これに関しての委員長は解説こそ少ないが丁寧に見本を見せてくれるし、忍者という職業柄、文字と紙について詳しくなれるのは悪いことではない。
 勉強になる──と言えばどこの委員会も同じだろうが、そんな色々な理由から。
(実は)
(本当は)
(結構)
 ──委員会活動が嫌いじゃない、なんて。
(((絶対口に出しては言わないけどさ…)))
 下級生は下級生なりに、その心情はなかなか複雑だ。




  
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