雨上がりに映るそら 2


 日の出と共に、運動場に委員会ごと整列した。
 開始前の学園長の話は、相変わらず聞こうとする者が少ない。その上、勝者へのご褒美が、あの学園長グッズ三点セットなどと言われては、出発前からやる気が削がれるというものだ。
 その後、食堂のおばちゃんお手製の握り飯と、委員会の名前の入った、更に学年ごと色の違うゼッケンを配られた。ゼッケンを取られた者はその場で失格とのことで、やはりそれぞれの妨害は大前提らしい。6年生が張り切る一番の理由はこれではないか──と、相当の下級生が穿って考えてしまうのも無理はない。

 スタートを告げる鐘の音が響くと、一斉に学園の門に向かって走り出した。しかし門を出た直後から右へ行く委員会と左へ行く委員会に分かれた。
「…同じ暗号じゃないのかな?」
「あの地図の範囲、やたら広かったもんなー…」
 きり丸と怪士丸は、先頭を行く長次の後ろを走りながら顔を見合わせる。
 いや、もっと疑えば暗号の解読法だって一つではなかったかも知れないのだ──長次と雷蔵が揃ってOKを出した時点で、そんな心配は3人からころっと消えていた──というより彼らを疑うことなど頭になかったと言った方が正しい──。
 だからここでも、
「…ま、大丈夫だろ」
「うん、大丈夫だね」
 きり丸たちがあっさりと、そんなふうに頷き合うのに合わせて、久作も心中で頷いてしまうのだった。


◇◇◇


 道中──それはもう色々なことがあったのだ。
 障害物競走の名の通り、行く先々にここまでやるかと文句を10度は言っても許されるだろう容赦のない罠が仕掛けられていたり、出会う人物が罠だったり、少し気を緩めれば、他の委員会から襲撃を受けたりと。
 それでも何とか暗号で解いた目的地である、山の頂上の小さな祠に着いた頃には、もう夕方だった。そこにも暗号が用意されており、長次は、今度はある程度のヒントを最初から与えた上で、また下級生3人に解かせた。
「学園に早く帰らないと負けるんですよ?! 最下位は罰ゲームなんですよ?!」
 と散々きり丸に叫ばれようと、頭上に夜の闇ではなく、厚い黒雲がどんどん迫ってきても長次は前言を撤回しない。無論、雷蔵が口出しすることもない。2人は下級生の後ろに立って、彼らを見守るに務めた。
 3人は焦りつつ必至になって暗号を解き、ようやく祠の敷地内とはいえ随分ややこしい場所に隠されていた「合格」カードを手に入れた。これを持って、あとは学園に帰るだけ──という頃には、日は暮れ、ぽつぽつと雨が降り出していた。

 急な山道を下る間、雨足は強くなる一方だった。
 周りは闇色に沈んで見通せぬ森、細い道はぬかるんで歩きにくく、叩きつけるような雨と自分たちの歩く音しか聞こえない。
 長次はちらりと空を見上げた。木々の隙間から視界いっぱいに広がる黒い雲は重く低く、簡単に退く様子はない。
「…逸れる」
「え?」
 長次は後輩たちに短く告げると、細い山道のわかされを、更に細い方へと進んだ。

 しばらく行った所に、小さな、粗末な小屋があった。
「猟師小屋ですか」
 久作の問いに長次は無言のまま頷いて、扉を開けて中に入る。4人もそれに続いた。彼がこの辺りに詳しいのは、自主トレでここまで足を伸ばしているということだろうか。
 外見から思うほど埃が積もっている様子もなく、土間の隅には乾いた薪が積まれている。狭い板の間には小さいながら囲炉裏があり、灰は固まっていない。縁が歪んだ鍋も掛かっていた。日常的に使われる頻度の多い小屋なのだろう。
「いいんですか? 早く学園に戻った方が…」
 全員が中に入ったところで雷蔵が扉を閉める。小さな小屋の土間は、5人も立てば狭いくらいだ。
「…すぐには止まない。夜の、急斜面が多い山道で、これだけの雨は危険だ」
 長次は慣れているのか、焚きつけ用の細かい枝を手にすると、さっさと板の間に上がって囲炉裏の用意を始めた。幸い、火種は長次と久作が持って来ていた。
「視界が確保できないし、体温も奪われるだろう。学園が近ければ考えもするけれど、まだ山2つあるからね。他の委員会も動きを止めると思うよ」
 長次の意見を補足しながら、雷蔵は小屋の端に積まれた筵(むしろ)を久作らそれぞれに渡す。
「そうですか…」
 3人はようやくすべきことに気づいた。ありがたく受け取った筵を板の間に乗せて、頭巾を取り、着物を脱ぐ。土間を水浸しにしてしまわないために、端に転がっていた桶の上でぎゅっと絞れば、勢い良く水滴が零れた。
 濡れたままでは体が休まらないし、万一体調を崩しでもしたら大きなマイナスだ。常に懐にしまい、忍者の必需品である手拭いもすっかり濡れてしまっている。絞って体を拭い、また絞るという行為を何度も繰り返す。
「…乗じた妨害も考えられる」
「野宿よりも、こういう所の方が防御し易いわけですね」
 長次は頷かなかった。あれ? と、訊ねた久作の首が傾ぐ。
「…今は学園の生徒同士の、それも障害物競走だからね」
 まだ何かを探しているのか、雷蔵は土間を端から端までがさごそと探る手を休めずに、苦笑交じりに付け加えた。だがやはり意味が良く判らなくて、3人は揃って首を傾げる。
「本当の忍者戦なら、建物ごとの焼き討ちってことも有り得るだろう。その場合には形のある場所に入るという行為自体が危険になるよね」
「あ…」
 だが学園の授業で、生徒同士がそこまですることは決して有り得ない。それを前提とした選択、ということだ。
「だから“今は”、久作の言う通り野宿よりマシ。ちょっと狡い解釈だけれどね、でもそれも、忍者の手」
 雷蔵はようやく立ち上がって、ぱんぱんと手を払う。
 探し物は見つかったのか、ようやく頭巾を取って、3人に続いて制服を脱いだ。
「だから絶対に焼き討ちに合わないって裏があれば、建物に入った方が良い場合もあるんだよ。例えば敵にとって、絶対に巻き添えを食らわしちゃいけない人と一緒にいる時とか、焼けてしまったらマズい物を運んでいる時とか」
「あ、成程…」
 3人が納得しながら体を拭き終える頃には、無事、囲炉裏に火が熾った。それぞれ囲炉裏の一面ごとに座って筵を体に巻きつけ、制服を火に向けて乾かす。
 それと入れ替わりに、今度は長次が土間に立ち、制服を脱ぐ。
「…炭は置いてないんですね…」
 そろそろ拭い終わろうという雷蔵が、長次に残念そうに呟いた。薪よりは炭の方が長時間保つから便利なのだが。
「…仕方ない」
 土間に積まれた薪は小山になっている。体を温めるためにも制服を乾かすためにも、一晩、火を絶やすことは出来ないが充分な量だ。
 申し訳ないながら消費してしまった分は、近々また自主トレで来て増やしておこう…と、長次は考えていた。
「火の番は交代制にしましょう」
 と久作が提案すると、
「…寝ろ」
 長次が一言で却下する。
「でも」
「僕と中在家先輩で交代で見るから良いよ。夜動けなくなった分、明日挽回しないといけないからね」
 絞った制服を小脇に抱えて、雷蔵が板の間に上がった。


◇◇◇


 ぱちっと薪が爆ぜる音で、久作は意識だけが起きた。
 動いている間は気が張っているからさほど感じなくても、やはり疲れていたのだろう、瞼が張り付いてしまったように重い。出来ることなら完全に覚醒することなく、もう一度眠ってしまいたいところだ。
 雨足は相変わらず強く、猟師小屋の屋根を引っ切り無しに叩きつける音がやたらと耳障りに響く。
 どうやらすぐには眠れないらしい──久作は諦めて、横になったまま薄く目を開けた。真っ暗な小屋の中を、小さな囲炉裏の火が薄赤く、ぼんやりと照らしている。
 囲炉裏に顔を向けて眠っていたから、囲炉裏を挟んだ正面に長次が座っている。そこは扉を真正面に見ることの出来る場所だ。彼はじいっと火を見詰めていて、たまに薪を足したり、火箸で突いて加減を調整したりしている。
 そして彼の左隣に雷蔵が座っている。この狭い敷地で、囲炉裏の一面に下級生が1人ずつ横になってしまったから、雷蔵が落ち着く場所がなかったのだ。
 それに雷蔵も長次も、乾いたのであろう袴と黒の短衣を着て、上着を肩にかけているだけだ。筵はどうやら3枚しかなかったらしい。それを下級生に全て渡してくれたのだ。
 ──ああ、僕たちの方が体が小さいから、2人で筵を被ることも出来たし、1面に座っても狭くなかったのに。先輩たちに申し訳ないことをしちゃったんだ、どうしよう…と久作が心苦しさで一杯になったとき、あれ? と思った。
 久作からは長次の右腕しか見えない。先程から薪を扱うのも火箸を使うのも右手だけだ。片手で用が足りない訳ではないが、持ち替えたりするには不便そうだ。何でそんなことをしているんだろう…? と、開き切らない瞼の下で瞳を動かす。
 よく見ると雷蔵は、長次の肩に頭を預け、凭れるようにして眠っているらしい。不安定な体勢は傍から見ても寝辛そうだ。そこまで考えた時、目覚めきっていないのだから働かなくても良い頭が、ここぞとばかりに働いてしまった。
(…もう片手は…もしかして…)
 雷蔵が倒れてしまわないように、腰の辺りに回して支えてあげているのではないだろうか──と。
 気になったら確かめずにおれないのが、良くも悪くも忍術学園の生徒である。
 薄暗い室内、5年生の紺色の制服は闇に良く紛れる。その腰の辺りに不自然な肌色が見えてしまえば、嫌でも理解できるというものだ。
(…うんまあ、上級生同士でいがみ合ったりされるよりマシだけど…)
 久作はひたすら自分に言い聞かせる。
 雷蔵が長次をずっと尊敬していることも、長次は他人には判りづらい優しさを見せることも、だいぶ前から知っている。
(だからまあ…いいんだ)
 長次の手が雷蔵を起こしてしまわない程度に優しく、けれど微動だにしないくらいしっかりと回されていることとか、雷蔵はあんなに無防備に寝てしまう先輩だっただろうか──なんて。
(気にすることじゃない気にすることじゃ…)
 念仏のように心で何度も唱える。しかし何だか、そこら中からだらだらと脂汗が滲み出ているような気がする。
 ふと、薄目のまま視線を上げてしまった。
 長次がじいっと自分を見ているような気がした。起きていることを気づかれている可能性は、限りなく高い。長次はこちらを向いて──にいっと片頬を上げて笑ったのである。
(こここ怖いよううぅ…)
 心臓が半端じゃなく早くなる。
 見るんじゃなかったと後悔しても遅い。久作はただひたすら目を閉じて、眠る努力をした。

 眠りが浅いのは──決して疲労のせいだけではないだろう。
 次に久作の意識が浮上したとき、雨の音はだいぶ小さくなっていた。
 恐る恐る薄目を開けると、今度は雷蔵が火を扱っていていた。ということは長次が眠っているのだ。
 ほっとしたのも束の間──長次は雷蔵の背に、自らの背を預けて寝ていた。そして雷蔵は、長次が前に突っ伏してしまわないよう少し前傾している。
(…もう、どうしようかな…)
 何をどうするわけでもないが、そんな言葉しか出てこない。
 火の番の交代の時にでも着付けたのか、2人共、頭巾以外の制服をきちんと纏っていた。ほんのり火に照らされる雷蔵は、とても穏やかな笑顔で──いや、何かを話していると気づけたのは、日頃の委員会活動の成果か。
 雷蔵が話している相手は背後の長次だろう。雷蔵の口はほとんど動いていないし、ただ囲炉裏の火を見ているだけのように見える。不自然な体の動きもないのだが──久作は、2人が外を警戒しているのだと判った。
 久作もそうっと外の気配を探る。
 雷蔵が片手に薪を取った。枝が沢山出ているそれを見て、もう片手で苦無を手にする。枝を払うために使っていたらしい。
 久作も筵の下で、ゆっくりと、動きを悟られないように懐に手を入れた。持っている手裏剣の数を、指先で確かめる。
 長次が雷蔵に預けていた背を、ほんのわずか起こした。雷蔵はそれを合図に苦無を持ったまま、トン…っと軽やかな足音と共に囲炉裏と久作を飛び越えた。雨に濡れたお陰で滑りの良くなった扉を勢い良く開け、外へと飛び出す。
 がばりと久作も身を起こした。
「中在家先輩!」
「ふえ?!」
「な、なに…?」
 久作の声に、1年生2人が目を覚ました。
「…大丈夫だ」
 しかし長次は、久作とは対照的にいつも通りだ。こんな状況にありながらも、彼のそんな一言で何となく安心できてしまうのはなぜか良く判らない。
 1年生2人は起き抜けで訳が判らず、目を瞬かせている。
「外を見張りますか?」
 久作が訊ねる。
「…いい」
 長次はずっと外の気配に神経を集中させていたようだ。彼がそう言うからには、どうやらタチの悪い6年生や鉢屋三郎クラスの人間が周囲に潜んでいるという可能性はないらしい。
「…寝ろ」
 長次はそう言うが、こんな状況で眠れるわけもない。
「…戸を閉めますね」
 久作は立ち上がって扉まで行き、開け放たれたそこから首だけ出してキョロキョロと外を伺った。雨はだいぶ小降りになっているが、外は闇一色。
(…雷蔵先輩大丈夫かなあ…)
 扉を閉め、元の場所に戻る。複数なら低学年が何人か…という可能性も考えられるが、単独ならそれなりの学年ということだろう。
 待つ時間というものは、長く感じられる。

「遅くなりました」
 聞きなれた声と共に、スッと扉が開いた。そこに立つ人物を見て一瞬、長次は目を細める。万一誰かの変装ではないか──という見極めと、その後は無事であるという安心のために。
「あ、ごめんね、起こしちゃった?」
 自分を見る下級生たちに、雷蔵は本当に申し訳なさそうに言いながら板の間に近づく。
「火薬委員会でした」
 自分は土間に立ったまま上がらず、差し出したゼッケンの色は3年生のもの。
「煙が見えたので偵察に来たようです。火薬委員会本隊は、向こうの斜面の中腹にいるようでしたが」
 西側の斜面を指差し、この気象条件では不利と踏んで、近くまでは行かなかったと続けた。
「雨はだいぶ小降りになりましたが、やはり視界が悪いです」
 長次は少し考えてから、
「…日の出と同時…」
 と言った。
「「「「はい」」」」
 4人は引き締まった思いで答える。
 日の出までは余り間がない。それまでに乾かさなくてはと、雷蔵は着物を脱ぎ、良く絞ってから板の間に上がってきた。夜中に久作が見た光景のとおり、長次の隣に座って制服を火に翳す。
「雷蔵先輩、これ…」
 雷蔵のすぐ横の面に座っていた怪士丸が筵を差し出した。
「ありがとう、でも大丈夫。動いてきたから冷えてないしね。明け方は涼しいからちゃんと掛けてなよ」
 雷蔵は笑顔で、やんわりと断る。
「でも…」
 怪士丸が食い下がると、突然ぱさりと雷蔵の肩に苔色の着物が掛けられた。
 雷蔵が驚いて横を向くと、長次はいつの間に上着を脱いだのかも悟らせない無表情で、囲炉裏の火を見ていた。
「あ…ありがとうございます」
 彼の頬が少しだけ赤く見えるのは──動いてきたから、だけでないことは確かだ。
 それは断らないのか──というツッコミは、それぞれが喉元まで出掛かったが、するだけ無駄だろう。それに忍術学園の生徒は何だかんだ言っても、上級生には逆らえない。
(((…心配するだけ損だってことだな…)))
 それぞれに、ちょっと遠い目をしたくなった瞬間だった。




     
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